2022.09.18
- 闘争は如何にして治療されるべきか?
人間はなぜ争うのか?
大きく分けて二つあると考えられる。一つは、不足を満たすためのもの。例えば飢えを凌ぐのに稲が一人あたり十本必要であったと仮定する。そして、ある集落には十人ほどが生息していた。しかし今年は冷夏によってたった二十本しか用意できなかった。これでは二人しか生き残れないこととなる。少なくとも、全員で平等に分けて耐え忍ぶには足りない。このようなとき、人間は争う。不足を満たすため、他者を圧倒し、犠牲と為すことで、生存を勝ち取るのである。
そしてもう一つは、過剰そのものを得るためのもの。生活には何ら不自由していないが、これでは飽きてしまう。何らかの形で自身の支配する物質を増加させることによって、自らそのものを大きくしたい。この欲望から、他者を襲い、本来他者の取り分であったものを強奪し、自らの取り分を超えた過剰な量を富として蓄積することによって、快楽を得る。
この分岐は物質的なものに留まらない。精神的な領域においても、この分類は成り立つ。自らの精神領域が本来あるべき姿からは不足し、どこか不安定な状況に陥っているので、そのような状況へと導いた他者を攻撃する。ないし、支配欲や性欲など、過剰な情欲を満たすことで快楽を得るために、他者を虐げる。見えないながらも、一定の範囲で精神状態もまた、不足と過剰という二面で説明できる。
つまり、闘争の根幹にあるのは不足と過剰である。闘争を停止させたいのであれば、両者を解消すれば良い。前者は生物である以上、物質ないし精神を満たす他に方法は無く、それには大いなる困難が伴うが、後者に関しては我々の支配下にある。過剰による快楽を悪と見なせば、闘争は幾分減少することであろう。戦争という、生物としての機能から大きく離れた闘争であれば、その効果のとりわけ大きく現れることが期待される。