まどどブログ

普通の二十代前半男性が、夢を見るか、破滅するか。そんな人生ドキドキギャンブルの行く末を提供しています。

2022-10-01から1ヶ月間の記事一覧

2022.10.31 獣人でありたいというアノミーについて

2022.10.31 書けば書くほど、追えば追うほど、求めれば求めるほど、彼らは私から離れていく。彼らとの間に深い深い溝があることを、そしてどうやったって私は彼らのところへ行けないことを、私は知る。そして私の絶望もまた、途方もなく深く沈んでいく。 私…

2022.10.30 或る兎について

2022.10.30 或る兎の受難 或るところに、兎が居た。 その兎は温かい芝生の上で暮らしていた。食料たる草はそこらじゅうに生えていた。その兎は気の向くままに、草を食み、草に横たわり、そして草に香られながら、素朴に暮らしていた。その兎はそれ以上のこと…

2022.10.29 衝動としての自殺について

2022.10.29 自殺は衝動である 自殺とは衝動そのものである。 まさか、と私は思っていたし、むしろ自殺とは理性によって選択されたという点で崇高な所業であるとすら思っていた。しかし私が間違っていた。現にその私が、その衝動——自殺という衝動と戦っている…

2022.10.28 ブログ毎日更新一周年について

2022.10.28 ブログ毎日更新一周年! その実、今日はブログ毎日更新を決めてから、ちょうど一年経つ。厳密には、今回の記事が365日目の投稿である。 なお、これがちょうど一年前——365日前のブログである。 akashi2728.hatenablog.com 私は何が変わったのか? …

2022.10.27 一週間三回更新の決意について

2022.10.27 私は今日、ここに決意する。 この一ヶ月、最新作の小説に身を注ぐことを。 これによって定めるのだ——私は本当に、小説家として、創作者として相応しいのかを。 具体的には、二日に一回、一週間で三回、一回に付き、三千字〜四千字程度の小説を投…

2022.10.26 現代における流行の特徴とそのビジネスについて

2022.10.26 現代の流行とは何か? 今日、ふとこのフレーズを思い出した。 「〜〜落ちた、日本死ね」 何に落ちたか、なぜ日本に対して死を求めたか、そのようなことは一切忘れてしまったのだがともかく、このフレーズを思い出した。何年前か、それすらも忘れ…

2022.10.25 創作と煎茶について

2022.10.25 創作は苦いものであるか? 以前も述べたが、私は創作について、積極的に関わっているような人間ではない。厳密に言えば、睡眠が私における最大の娯楽であり、その他のものはそれにすべて劣後するので、創作もまた同様に、人生における最優先事項…

2022.10.24 一向に「書かない」私について

2022.10.24 書けない私は一体何であるか? 矢張り書けない。私に関わるテーマについて書こうとしたが、どうにも書けない。 なぜ書けないのか。単に面白いと思えない。あるいは熱情が、執着が明らかに不足している。つまり、先日導いた「自身の他に関心がない…

2022.10.23 現実からの逃避としての作品について

2022.10.23 作品は人に何を与えるか? 絵でも小説でも漫画でも、何でも、作品に触れることは何を意味するか? 人は作品に触れることで、何を得るか? 様々なものが考えられようが、その一つには明らかに、現実からの逃避があると思う。 現実は多かれ少なかれ…

2022.10.22 最近話題のキャプテン美談について

2022.10.22 最近話題の「美談」は真に美談か? 昨日、このような記事が流行した。いや、私の立場から言わせれば「跋扈」した。 news.yahoo.co.jp 普段は掃き溜めより醜悪なヤフーニュース・コメントも、この記事に限っては感銘の嵐である。ところが、意外や…

2022.10.21 女系天皇における「国父」の問題について

2022.10.21 「国父」に求められる者は何か? 仮に日本が女系天皇を容認したとして、最も問題となるのは「誰を父に持つか?」であると考える。これまでの継承が例外なく男系によって為されてきたのである以上、女系へと移行したとして、男系の系譜がどのよう…

2022.10.20 なぜ筆が進まないのか?

2022.10.20 なんで書けないのよ〜〜 懺悔しよう。私はこの80日、一文字も執筆していない。 厳密に言えば、このブログを平均して毎日一千字程度記述しているので、八万字程度は記載していることとなる。しかしそれは執筆と言えない。私の中での「執筆」とは「…

2022.10.19 人間は二度死ぬことについて②

2022.10.19 昨日の続きである。 なお、第二の死は「生命の死」と置き換える。そのほうがわかりやすい。 第一の死は人間に特有か? 昨日の続きである。 一日考えてみて、第一の死、俗世の死は人間に特有のもの、ではないかもしれない。なぜならば、私は動物と…

2022.10.18 人間は二度死ぬことについて①

2022.10.18 キリスト者でもないのに、絶望は私にとっても、恐らく死に至る病である。まったく恐ろしいことだ。聖書に触れてしまったことがすべての過ちであり、すべての救いであったのだろうか。 人間は二度死ぬ 人間は二度死ぬ。と、私は考えている。どのよ…

2022.10.17 季節と音楽について

2022.10.17 季節で色付く音楽たち 季節はあらゆるものを変化させる。気候も太陽も葉も海も、すべて変化させる。その一つに、音楽がある。 例えば春や夏に聴く音楽は、どこかアップテンポの、高揚するようなものが相応しい。それは春や夏が、隆盛の季節である…

2022.10.16 老いについて

2022.10.16 老いはきらい 老いは嫌悪されるべき現象であると、私は考える。なぜか。 老いは肉体的、精神的にも、人間の活動を鈍化させる。つまり、生において可能な活動領域を決定的に狭められる。なにか成しうること、なにか知りうること、これらをすべて放…

2022.10.15 自殺と自死について

2022.10.15 『死ぬのがいいわ』 自殺は自殺、「自死」と呼ぶな 以前も述べたが、自殺は自殺である。決して自死ではない。 自殺の本質とは「覚悟」である。自らを自らの意思によって殺す、というのが自殺という行為であり、その「自身という人間の殺害」とい…

2022.10.14 PerfumeとBLACKPINKのダンスの相違について

2022.10.14 繊細と豪快の比較について 私はPerfumeとBLACKPINKとを好んでいる。全曲を網羅しているというわけではないのだが—–そのようなアーティストはTwinnieとAvi8の他に存在しない——どちらもそれなりに聴いているし、YouTubeに掲載されているダンスもた…

2022.10.13 人間の性質と顔について

2022.10.13 性質と顔の関連性 私は顔相に明るい者ではない。それを踏まえた上で、あくまで感触として、人間の性質は顔に現れると考えている。経験則であるので、統計学的に正しいとは言い難いのだが、どうにも聡明な者の持つ顔は似通っていて、愚鈍な者も同…

2022.10.12 脳がぼんやりしているときの対処法について

2022.10.12 頭がぼんやりしているときの対処法 今日は生活のハウトゥーを書く。 なんだか思考のストップしてしまう日々がある。脳の中では様々憶測が及んでいるというのに、いざ現実世界で人間を前にしたとき、なかなか言葉が喉の奥から引き出せず、スムーズ…

2022.10.11 人間の死ぬべき時期について

2022.10.11 学生を卒業したら、死にましょう 人間はいつ死ぬのが、最も幸せか? それは個々人の生育環境による。しかし、現代の日本において、それはそう大きく乖離するものでもない。基本的に我々は何者になることも出来ないのであり、生育環境についても、…

2022.10.10 服の支配について

2022.10.10 服は我々を支配するか? 服はなぜ着られているのか? 服の機能から考えれば、第一目的としては、体温調整なのであろう。何故か、そして最も恐ろしいことに、体毛を捨て去ってしまった人間が、気候に左右されず体温をある程度、少なくとも生存の確…

2022.10.09 労働意欲の殲滅について

2022.10.09 労働意欲を殲滅せよ 人間が労働から解放されることで、その当人が真に幸福であると考えることに時間を投ずることが出来るので、結果として人間の総幸福量が最大化される。故に人間は労働から解放されなければならない。 ここで憎むべきは何か。そ…

2022.10.08 バイブルについて

2022.10.08 バイブルについて バイブルとは何か。本来の意味はキリスト教における「聖書」という聖典そのものであるが、現代においてその意味は拡張され、各個人が聖典とするもの、即ち各個人にとって特に親和性の高く、右に置くべきものであると認められた…

2022.10.07 ガーシーと労働について

2022.10.07 ガーシーは「働かない」政治家 ガーシー、という議員先生が居る。何でも、国会議員に課せられている登院の義務を拒否し、問題になっているらしい。正直、議員先生となられるまで彼のことを知らなかったし、彼が著名である理由も未だ存じ上げてい…

人間を正直にさせる「嬉し涙」について

2022.10.06 人間の感情は信頼されるか? 基本的に、人間は信頼すべきではない。それは人間が嘘を吐く生物であることに由来する。人間は言うまでもなく、自らを利するように行動する生物である。自らの利に反することは言わない。それは事実を歪曲されること…

2022.10.05 人を殺すべきではない理由について

2022.10.05 殺人は社会に対する叛逆 人間は人を殺すべきではない、とされている。少なくとも、殺人に手を染めたものは法的に極めて重い処分を下され、社会的地位を失うように設定されている。では、何故か? 恐らく、社会機構を正常に保つためであると考えら…

2022.10.04 国ガチャについて

2022.10.04 日本という出生座標が、もしも隣に移動したなら 親ガチャと広く言われているが、それよりも大きく人生を狂わせてしまうガチャがある。それは国ガチャである。 出生する国によって、人生は大きく動いてしまう。治安。経済状況。政治体制。言論の自…

2022.10.03 生の命題について

2022.10.03 なぜ私は生きているのか? 昨日の議論を踏まえて考えれば、このようにも捉えられる。現状の苦悩は生の不在が引き起こしているものであり、生を在るものにして仕舞えばその苦悩も自ずと解消されることが期待される。つまり、生きる意義を見出だせ…

2022.10.02 私の幸せ、そして合理的に選択されるべき死について

2022.10.02 私の幸せについて 私の幸せとは、何か? それは金を湯水のように使うことでもなければ、誰かと時を共有することでもなければ、美食に舌鼓を打つことでもなければ、まして、小説を書いたり絵を描いたり詩を詠んだりすることでもない。言うまでもな…