まどどブログ

普通の二十代前半男性が、夢を見るか、破滅するか。そんな人生ドキドキギャンブルの行く末を提供しています。

死生論

2023.01.27(残338日) 私の思想のスタンスについて

2023.01.27(残338日) 私の思想のスタンスについて スタンス①:無常は思想をも覆う スタンス②:人間とは合理性である 私の思想のスタンスについて 有り難いことに、このブログもコンスタントに閲覧されるようになってきた。何を目的とされているのかはいざ知…

2023.01.25(残340日) 今日のわたしと昨日のわたしについて

2023.01.25(残340日) 今日のわたしと、昨日のわたし 思うに私の人生というのは、常に今日のわたしと昨日のわたしとの対立によって発生しているのだと思う。 朝起きれば、昨日のわたしが今日のわたしに残した数々のタスクがあり、教訓があり、そして計画があ…

2023.01.23(残342日) 成果と人生について

2023.01.23(残342日) 眠い。しぬ。私は精神的不老不死なので死ぬこともまずないが、こうも眠いと物事に取り組むために多くのエネルギーを要する。勘弁願いたいものだ。 我々とは成果である 労働は成果ではない 輪郭を持つ成果は尊い 我々とは成果である 人生…

2023.01.07(残358日) 私の寿命を延ばしたものたちについて

2023.01.07(残358日) 私の延命治療①:愛おしい動物たち 私の延命治療②:BTSとの出逢い 私の延命治療③:映画への依存 私の延命治療①:愛おしい動物たち さて、昨日の続きである。 akashi2728.hatenablog.com つまらない人生であるにも関わらず、私の寿命を延…

2023.01.06(残359日) 退屈な人生と享年について

2023.01.06(残359日) 大人の時間はつまらない 私は何故死を選ばなかったのか? 大人の時間はつまらない 人間は学生時代を終えた瞬間、死ぬべきである。私は以前そう述べたが、この考えは今でも変わらない。 成人してからというもの、人生というものはとても…

2022.12.24 人生を決するものについて

2022.12.24 今日はクリスマス・イヴである。私として特にそれについて述べることはない。少なくとも一年前まで、そのようなイヴェントには敬意を払っていたのだが、どうにもこの一年間で私は季節から隔離されてしまったらしい。気づけば師走、気づけばクリス…

2022.12.18 セックスについて

2022.12.18 セックスとは何か? 捕食とはセックスである 我々の食事はセックスだろうか? 人間はセックスを愉しむか? セックスとは何か? セックスとは何か? セックスとは生殖である。そんな無粋なことは言わない。第一、そのような価値観は、令和の時代に…

2022.12.02 スペイン戦の勝利とワールド・カップについて

2022.12.02 日本国、スペイン国に堂々勝利す! また日本が勝ったらしい。それも、格上のスペインに。決勝トーナメントにも歩を進めたとか。おめでたい! これで茶番の延長が確定した。負けてくれたなら今日一日耐えるだけで済んだのに、勝ってしまって、しか…

2022.11.23 戦前・戦後の作品と死について

2022.11.23 戦前と戦後のちがい:死を見ているか否か 私は戦前の作品と戦後の作品とについて、明らかに異なるものがあると考える。それは、死を見ているか否か、という点である。 戦前——特に産業革命以前——死は今よりずっと近い存在であった。そもそも労働環…

2022.11.06 死と自由について

2022.11.06 死:救済であり陵辱 人生において、すべてを終了させる方法が一つだけある。どのような悪い状況も簡単に覆し、すべて無かったことにしてしまう、とっておきの方法がこの世には一つだけある。それは何か? 死である。死は良いことにも悪いことにも…

2022.10.29 衝動としての自殺について

2022.10.29 自殺は衝動である 自殺とは衝動そのものである。 まさか、と私は思っていたし、むしろ自殺とは理性によって選択されたという点で崇高な所業であるとすら思っていた。しかし私が間違っていた。現にその私が、その衝動——自殺という衝動と戦っている…

2022.10.19 人間は二度死ぬことについて②

2022.10.19 昨日の続きである。 なお、第二の死は「生命の死」と置き換える。そのほうがわかりやすい。 第一の死は人間に特有か? 昨日の続きである。 一日考えてみて、第一の死、俗世の死は人間に特有のもの、ではないかもしれない。なぜならば、私は動物と…

2022.10.18 人間は二度死ぬことについて①

2022.10.18 キリスト者でもないのに、絶望は私にとっても、恐らく死に至る病である。まったく恐ろしいことだ。聖書に触れてしまったことがすべての過ちであり、すべての救いであったのだろうか。 人間は二度死ぬ 人間は二度死ぬ。と、私は考えている。どのよ…

2022.10.16 老いについて

2022.10.16 老いはきらい 老いは嫌悪されるべき現象であると、私は考える。なぜか。 老いは肉体的、精神的にも、人間の活動を鈍化させる。つまり、生において可能な活動領域を決定的に狭められる。なにか成しうること、なにか知りうること、これらをすべて放…

2022.10.15 自殺と自死について

2022.10.15 『死ぬのがいいわ』 自殺は自殺、「自死」と呼ぶな 以前も述べたが、自殺は自殺である。決して自死ではない。 自殺の本質とは「覚悟」である。自らを自らの意思によって殺す、というのが自殺という行為であり、その「自身という人間の殺害」とい…

2022.10.11 人間の死ぬべき時期について

2022.10.11 学生を卒業したら、死にましょう 人間はいつ死ぬのが、最も幸せか? それは個々人の生育環境による。しかし、現代の日本において、それはそう大きく乖離するものでもない。基本的に我々は何者になることも出来ないのであり、生育環境についても、…

2022.10.03 生の命題について

2022.10.03 なぜ私は生きているのか? 昨日の議論を踏まえて考えれば、このようにも捉えられる。現状の苦悩は生の不在が引き起こしているものであり、生を在るものにして仕舞えばその苦悩も自ずと解消されることが期待される。つまり、生きる意義を見出だせ…

2022.10.02 私の幸せ、そして合理的に選択されるべき死について

2022.10.02 私の幸せについて 私の幸せとは、何か? それは金を湯水のように使うことでもなければ、誰かと時を共有することでもなければ、美食に舌鼓を打つことでもなければ、まして、小説を書いたり絵を描いたり詩を詠んだりすることでもない。言うまでもな…

2022.09.20 人を決意させる些細な日常について

2022.09.20 恋の冷めるときというのは、ほんとうに些細なものが原因であると謂う。彼氏が茶碗に米粒を残したまま食事を終えた。彼女の携帯電話の待受画面が虫であった。髪が跳ねていた。化粧が崩れてアシンメトリーであった。服がなんか変であった。歯に何か…

2022.09.09 冬について

2022.09.09 惜しいことに女王陛下が崩御あらせられた。しかし私は女王陛下の今後を祈ることなど出来ない。国教会の者ではないのだから。 それに、私が祈るまでもなく、主は女王陛下を救われるだろう。主は貴方のしもべを救われる。 ああ、異教徒がこんなこと…

2022.09.08 「生きているだけで誰かの救い」について

2022.09.08 「生きているだけで誰かの救い」か? 先日は「生きているだけで儲け物」という風説を否定した。同様に、今日では「生きているだけで誰かの救い」であるという風説も否定できる。端的に述べれば、「生きているだけで誰かの救い」であるかどうかは…

2022.09.06 「生きているだけで儲けもの」という嘘について

2022.09.06 生きているだけで儲けもの、という嘘 「生きているだけで儲けものだ」なんて台詞を、よくSNSの上で見かける。これほど人の欺かれる嘘を私は見たことがない。私はこの嘘を糾弾するため、パソコンに向き合っているようなものである。 ところで私は…

2022.08.18 生きる意義について TAKE2

2022.08.18 人生のテーマ 人生とは何か。人の生である。では、生とは何か。こう言い換えられる。人はなぜ、生きているのか。 死ぬのが怖いので生きている。私は以前、このように考えた。どこかに書きもした。 これについて、見直しが必要である。死が怖いか…

2022.08.11 死という敗北について

2022.08.11 死という美 死は美しい。死は人を魅了する。とりわけ日本人は心奪われることであろう。雪を見ている。死に瀕してなお足掻くアーティストなど、感涙すら誘う。ああ、このように美しいものが、この世界に存在したのか、と。 しかし、死は外部から観…

2022.08.05 生き地獄と生死の選択について

2022.08.05 今日は誰にも逢うことなく一日を終えられそうな、そんな予感がしている。 生き地獄たる浮世 この世はまさしく生き地獄である。 人間は醜悪であり不愉快である。その人間と関わりを持たなければならないことは非情である。 労働は生の引き換えとし…

2022.07.25 善性と死について

2022.07.25 どうにも今日は死の他に何かを考えることが難しい。 私のような善良な者がなぜ死を考えなければならないのだろうか。私の善性は保証されている。私は誰を傷つけることもない。ただ、今まで通り平穏に生きていたいだけ。なぜこれが否定されなけれ…

2022.07.20 創作に対する想いについて

2022.07.20 いずれ死と生にフォーカスして述べようと考えている。もしかしたらプライベートに関する事柄は除くこととなるかもしれない。故に、今書けるものは書いておかなければならない。 一生寝ていたいのだけれど 私は創作などしたくない。本当だ。 元来…

2022.07.16 古典と死への羨望について

2022.07.16 自然の音に心委ねつつ、脇息に凭れ、灯りを寄せて大鏡を読む。これほどの幸いがあろうか。極楽にも届きそうなほどである。私はもしかして、いま極楽にでも居るのであろうか。 いや。忘れてはならない。私がいま居るこの場所は、地獄である。 古典…

2022.07.13 無常について

2022.07.13 この世は無常である。あらゆることが移ろうこの現世の中で、たった一つの不変の真理。無常。 例えば、この動画。 youtu.be 今上帝の御即位について振り返ってみようと、何気なく再生したこの動画にも、この動画ですら、無常は色濃く示されている…

2022.07.02 青年の余生について

2022.07.02 正直に言おう。私は今を、余生だと思っている。 これまで、散々に興味深いことを経験してきた。中学と高校で、この世において一般的な人間が体験するであろう、そして決して体験することはないであろう、多くの欣快と自罪と、失意とを味わった。…