まどどブログ

普通の男子大学生が、有名作家になるか、破滅するか。そんな人生ドキドキギャンブルの行く末を提供しています。

槙島聖護、御冷ミァハ、そして夜神月

 ご無沙汰しております。まどです。

 実はわけあって、今までの投稿をすべて削除しました。いや、自分の中でちゃんと保存してあるので、もう一度アップロードすれば良い話なのですがね。念のため、と言ったところでしょうか。僕も色々と忙しい時期ですので。

 

 さて、今日は題名の通り、三人について、少し触れたいと思います。

 僕はオタクなので、様々な作品に触れることがあります。その中でも、この三人は、かなりの共通点があると思っていて。

 本来、往年の文豪作品で同様のことを論ずるのが筋であるのはわかっています。わかってはいるのですが、僕には教養がないもので。一人は小説からですし、このくらいで勘弁してください。

 

 上記の三人、つまり槙島聖護、御冷ミァハ、夜神月。彼らに共通する点。それは簡潔に申せば、「思想犯の皮を被った子供」だと思います。

 作品をよくご存知の方は、何を言っているんだ、と思うのでしょう。彼らは、社会を何らかの形で、彼らなりに「正しい」世界へと変えようとした。そして、それが成就したかしていないかは別として、何らかの形で影響を与えた。だから、立派な思想犯である、と。

 しかも、彼らの「正しい」世界は、明確に述べられている。槙島聖護は、自分で自分を律する世界へ。御冷ミァハは、人々が「わたし」の軛から解放された世界へ*1。そして夜神月は、「悪」を消し去った世界へ*2。そういう理想郷を、彼らは抱いていた。

 

 しかし、ここで一つ考えてみてほしいことがあります。その根本的な動機は何でしょうか。理論だったものではなく、ほんとうの動機。たましいの動機、とでも言った方が良いでしょうか。

 槙島聖護は、様々あると思われますが、その中でも大きいと思われるのは、孤独を解消すること。免罪体質に生まれたことによる、周囲との相違。疎外感。シビュラシステムの崩壊により、彼は「ありきたりな人間」に戻る。

 御冷ミァハは、自分のいた世界に戻ること。ロシア兵の姦通によって発現された意識。異質な自分。ハーモニープログラムの実行により、チェチェンの無意識を取り戻す。

 夜神月は、自分が第一となること。「新世界の神」として、犯罪者だけでなく、自分に楯突く者も容赦無く殺す。「悪」のない世界で、自分が絶対的に正しい存在となる。

 そう、彼らは、自分の中の欲求を、ただ社会に転嫁しているのです。そして、その欲求は、かなり子供じみたものに思える。

 無論、社会を実際に揺り動かす才能というのは、認めざるを得ないでしょう。社会というものは、確かに脆いが、同時に簡単に崩せるものでもない。彼らの知性。カリスマ性。行動力。彼らの秀でた構成要素が、最終的に社会を変化させた。

 しかし、その原動力は、個人の欲求。子供の我が儘。それが何とも皮肉に、僕には思えてならないのです。大人の世界を、子供が壊すのですから。

 というより、社会は案外、子供が力を持って我が儘を起こす事態など想定していない、のかもしれません。本来、我が儘とは家庭内で完結するはずのもの。教育による同化を前提として、社会はシステム構築が為されている。その前提が、覆されたら?

 

 ところで、彼らは皆、作中で亡くなっています。それも、他殺。しかし、彼らの最期は、幸せの観点で考えれば、少し異なっている。

 この中で最も幸せな最期を迎えたのは、槙島聖護でしょうか。シビュラの崩壊こそ成し得なかったものの、孤独は克服されたわけですから。

 御冷ミァハは、どうなんでしょう。少なくとも、彼女の元いた世界に戻れたわけではないので。ただ、相手が霧慧トァンであることを考えると、難しいところではあります。ここでの考察は控えたいと思います。

 夜神月は、言わずもがなですね。彼は、目的を果たさぬまま、無惨に死に絶えた。キラという名を後世に遺す、というのも、現世利益を重視していると思われる彼にとって、何の意味もなさそうです。

 無論、前の二人と違って、夜神月は絶対的な悪として描かれているので、その扱いの差によるものもあるでしょう。しかし、本質的には似たような三者でも、これほどまでに最期が異なる、というのは、少し面白いところではあります。

 

 では、また。

*1:正直、これについてはよく理解できていません。御冷ミァハは良いとして、なぜそれを慕う者が現れたのか。最終的に意識を失うと分かっているのに、それを感情面でも受け入れられるでしょうか

*2:彼の「悪」もかなり曖昧なものだなと、個人的には思います。