まどどブログ

普通の二十代前半男性が、夢を見るか、破滅するか。そんな人生ドキドキギャンブルの行く末を提供しています。

2021.09.17 アナログなわたしについて

2021.09.17

 

 低気圧で身体が重くなるとは……私の身体は極めて大地に忠実であるらしい。

 

アナログなわたし

 いま、スマートフォンでこれを記述しようとしている。が、まったく上手くいかない。筆が載らないのである。ただでさえ稚拙な文が、まるで春の雪のように、ほろほろと崩れ去るような気さえする。文が毛虫の踊りを見せて、文としての体をなしていない、そんな気さえする。パソコンや紙でなければ、これは私から出た言葉だ、と言い切れない。

 どうにも私は、スマートフォンであったり、電子書籍であったり、そういう最新のテクノロジーが苦手なようだ。無論、日常での使用には何ら差し障りはない。しかし、例えば本を読もう、となったとき、電子書籍では一切の内容が残らない。あるいは、酷い頭痛に見舞われる。スマートフォンのメモ機能も、何をメモしたのか、あまり覚えていない。結局、手帳に戻ってゆく。文章は、前述の通りである。

 

なぜわたしはアナログなのか

 当然、こういう疑問が浮かぶ。なぜ電子書籍はダメで、本なら良いのか。なぜスマートフォンのメモ機能がダメで、手帳なら良いのか。なぜスマートフォンで書く文章はダメで、パソコンなら良いのか。それは単純だと思う。身体的な感覚が伴っているか否か、だ。

 本であれば、必ず捲る際に音は鳴るし、手から独特の感触が伝わる。匂いすらする。私はただ情報を入手しているのではない。五感をもって、本を体験している。私は愚者であるから、体験に学ぶしかない。故に、体験を伴わない電子書籍では、視覚として情報をキャッチできても、他の感覚で認識していないために、結果として脳から理解が零れ落ちる。

 メモも、概ね同様である。手帳であれば文字を起こすときの振動や、音が生まれる。しかし、スマートフォンでは、ただ画面をぬるぬると移動する以外、何ら感触がない。だから、脳を動かすスイッチとなり得ない。故に、忘れる。作文も、言わずもがな、であろう。

 非常に簡単な話であった。五感を通した体験。それによる脳の起動。それが、最近のデジタル技術には欠落している。

 

 さて、いわゆる"Z世代"の私。果たして、今後の世界を生き抜いていけるだろうか?