まどどブログ

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2021.09.19 古典への愛について

2021.09.19

 

 今日はやってしまいたい家事が山ほどあるので、簡潔に記す。

 

  • 根源への欲求

 私は古典を好む。古典と言っても幅広く、古今東西、紀元前から、中古、中世、果てに近代。実に三千年の幅を持つ。なお、近代の本は古典と呼ぶに相応しいと思えないのだが、実際に他人から「君のは、もはや古典だ」などと言われてしまったのだから、場合によってはそうなのであろう。

 年代には差があれ、私はある程度の意図があってこうしている。それは、「根源を知りたい」というものである。

 現代とは、すべて歴史の積み重ねである。人間は過去を蓄積し、それを参照するのだから、それが今の世界の基盤となっているというのは、論じるまでもないことであろう。そして、過去には当然、今の価値観の根底となっているものがある。このようにして、今を理解するために、私は根底を旅する。それが、古典への愛に繋がる。

 

  • 今「だけ」を知る危うさ

 SNSでこんな意見を見かけたことがある。「若いうちは吸収力がある。冗長で面白みのない古典を読む必要はない。今の書物をたくさん読むべきだ。」と言った趣旨のものである。

 言語道断である。確かに、古典は昔のリズムで形成されており、大層な静けさを持っている。現代の激しく動き回る作品とは異なるため、若者受けしないのも、確かに同感できる。私とて、睡眠導入剤も兼ねているほどだ。

 しかし、だ。建物を想像して欲しい。心の中に、建物が建造される。今の書物とは、つまり構造物である。確かに今の書物を読み続ければ、今様の美しい構造物が自らの心に建設されることであろう。しかし、世界の建設業者は、果たして構造物から先に作るであろうか。そんなはずはない。例えば鳥取砂丘に丸の内ビルヂングを持ってきて、ポンと置いて、はい完成、などとなるであろうか。おそらく一週間以内に倒壊するであろう。

 そう、建物とは、確固たる地盤が必要である。それが歴史であり、古典である。重厚で安定した地盤。それを固めることが、最初に成すべきことである。これがなければ、いくら今の書物を読み漁ったところで、結局はうわべの理解にしかならず、知恵として蓄積されない。あのSNSの意見は、これを無視している。

 無論、今を理解しようという姿勢は、確かに大切である。時代の理解を放棄した者は、人間ではない。化石だ。しかし、今「だけ」を理解する姿勢は、いただけない。何度も言うように、歴史があって、今がある。歴史の理解は、今の理解を深め、確かなものへと昇華させてくれるのである。

 このような理由で、私は古典に親しむ。

 

 無論、最初は逆張りの意味もあったのだが。

 なろう系が心底嫌いでね。