まどどブログ

普通の二十代前半男性が、夢を見るか、破滅するか。そんな人生ドキドキギャンブルの行く末を提供しています。

2021.10.03 決意表明

2021.10.03

 

 今日の記事では、何かのテーマについて思考の結晶をつらつら書くことはない。ただ、決意を新たにするのみである。

 

  • 不老不死にならない限り

 私はいずれ死ぬ。無論、死を回避することが最も望ましい。私は不老不死になりたい。不老不死になって、宇宙の終焉から何から、すべてを私のものにしたい。しかし、それは叶わないだろう。心の中では理解しているのだ。それは叶わない。いずれ死ぬ。いずれ死ぬなら、私はおそらく自殺によって死ぬ。少なくとも現世は、私の生存にあまりに向いていない。

 私は労働によって希死念慮を蓄積する。サラリーマンであろうと、作家であろうと、多かれ少なかれ、私は希死念慮を抱く。私の自然状態とは、即ちベッドの上で退屈を友とする、その私である。それ以外はすべてストレスであり、心の傷を広げる。現状ですら、これなのだ。あと数ヶ月で気ままな学生生活も終わる。そうすれば私は、「死にたい」という生理的欲求を心の中に満たし続ける。満たして、溢れたとき、私はおそらく儚く肉を散らす。恐らくこの結末は、避けがたい。不老不死でないのなら、この世界で生き続けることは相当に難しい。私の自然状態を永遠に維持する方法は、現状皆無に等しい。働かざる者食うべからず、なのだから。

 私は永遠に生きていたい。死ぬ理由など、ない。しかし、これは論理的な話であって、生理的な面では、必ずしもそうではない。労働によって死への渇望が私を支配して仕舞えば、私の理性というものは脆く崩れ去る。死など、大抵はこうだろう。私はその引き金が労働なのだ。ただそれだけの話である。働けない蟻が葬られるように、私も現世においては必要ない人間であり、独りでに朽ちていく。

 恐らく私に信頼できるパートナーができたとしても、この結末は変化しないだろう。だって、これは私の魂の問題なのだから。

 

  • 死が避けられぬのなら

 では私は、何をすべきか。それは簡単な話である。遺せば良い。

 人間はいずれ死ぬ。死ねば、無くなる。故人は決して喜ばないし、悲しみもしない。故人という存在はマヤカシである。人間は死ねば無くなる。死は無である。遺体は人間の形をした物体である。死に希望を見出す行為はアヘンそのものである。

 しかし、作品は死んでも遺る。存命中に評価されなくとも、後世によって取り立てられることすらある。例えば、マタイ受難曲のように。私の作品もそうなるか。それは知らない。死した後のことなど、私には知らない。しかし、遺すことに一定の価値はある。

 人間はいずれ消える。しかし、作品は遺る。人に深く染み込む。私はその作品を遺したい。作品さえ遺っていれば、私が存在していたという証拠までは誰も消せない。

 だから、私は幸福を犠牲にしても、創作に励むべきなのだ。苦しみに身を置くべきなのだ。例え退屈を失い、多忙に身を包まれ、嘔吐しようとも、私は作品に対峙すべきなのだ。

 所詮、現世の快楽は肉の快楽である。苦しみは、魂の喜びである。人間として、どちらにより価値を見出すべきか。それはもう、わかりきっているのではなかろうか。

 絵を描きたい。良い小説を織りたい。私の妄想癖が補助となっていようとも、その原動力は、きっとここにある。

 

  • とはいえ

 無論、苦しみだけが私を動かすとは言い難い。私が好きな、かわいいもの、美しいもの、透き通るもの。これを頭だけでなくこの世に移したい。目に見えるものにしてやりたい。これらもまた、燃料の一つであること。これを私は自覚すべきである。

 苦しみだけでは持続しない。苦しみとは魂の喜びであると同時に、理想でもある。私は動物である以上、理想だけに殉じられるほど高貴ではない。私はどこまでも凡庸で、どこまでも動物なのだ。であれば、肉なる快楽も同時に混ぜ込む必要はある。

 遺すという苦しみ。見たいという快楽。この清濁併せ持つ炭を窯に投じて、私は動く。

 そう、これが良い。苦しみだなんだと言っていては、せいぜい三日が限度である。私は私の世界に多大な期待を寄せている。確かに、興味はある。私の世界が言葉だけでなく、色を持ち、形を持ち、動きを持ったら、どうなるのか。

 苦しみは苦しみである。自然状態からは遠く離れたことをしているのだから。だが、好奇心というものも、忘れてはならない。二つの原動力を持っていた方が効率的である。

 私は自分自身を厳しく律するあまり、結局理想たる自分と現実たる自分とが乖離して何もしない、ということが往々にしてある。それはつまり、究極まで甘やかしているのと何ら変わりない。であれば、飴と鞭で自分を自分で上手にコントロールする方が得策である。

 これはいい。今後はこのようにしていこう。早速、絵の勉強を始めなければ。

 

  • 不老不死にはなるけれど

 無論、私は不老不死になる最初の人類なので、以上の話は何ら関係のないことである。きっと十年後に私は不老不死の果実を貪っている。ついでに獣人にもなっている。

 しかし、ここ数日の怠惰を見ればわかるように、私は創作への姿勢を忘れがちである。これらを心の石碑とし、また作品の泉としなければならない。