まどどブログ

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2021.10.08 友人について②/「偽友」と友人関係における留意点について

2021.10.08

 

 やばい。まったく小説の展開が思いつかない。大枠はできているのに、細部がまったく浮かんでこないのだ。

 私の文章力というのは、勢い付いている日とそうでない日とで著しく差がある。何故なのだろう。果たして私は、連続性を持った個なのであろうか。

 

  • 友人関係を擬態したもの:コネクションの形成

 さて、先日は友人関係について、私の考えに基づいた分析を施した。今日は、一見友人関係に見えるものの、その実本来の意味から遠く離れているものを紹介する。それは、コネクションの形成である。

 人間とは繋がりの種である。繋がりを本能的に欲するし、繋がりを維持・拡大しようと努力するし、また、その繋がりを社会活動の基盤に据える。裏を返せば、当然のことながら、すべての生活、それどころか労働などの社会的活動において、繋がりは不可欠な要素として存在しているのである。これを我々は「コネクション」と呼ぶ。いわゆるコネである。

 人間とはどうにも繋がりを優先させる。本来であれば、合理的な判断に基づいて、より自身、ないしは所属する組織の利益を最大化するような選択を取るべきなのであるが、人間は「あの人とは知り合いだから」とか「あの人のほうが頼みやすいから」とかそのような理由で、コネを頼りに活動する。無論、コネによって機会費用を低減させるという効果は見込めるので、一概に非合理的とも言い難い。しかし、ここで主張したいのはその点ではなく、コネが如何に社会において重要な役割を果たしているか、ということに尽きる。有用なコネクションとは、社会生活において大きな利益となる。

 さて、コネクションとはそのまま「繋がり」を表す。友人関係も「繋がり」である。これが何を意味するか。

 私は友人関係について、二つの分類によって、それぞれのメリットを提示した。それはつまり、そのメリットがなくなればおおよそ友人関係は破綻する、という意味でもある。しかし、コネクションが生きている場合。これは破綻されない。

 表面上は、以前と同様の友人関係を装う。しかし本心では、相手の持つコネクションだけを求める目当て。弁護士、医者、警察官。そのコネクションが将来、自身の生活にメリットとなり得る。その資本として、友人関係の維持にコストを支払う。このような関係性は、多少なりとも見られるのではなかろうか。

 ここで、一つ疑問が浮かぶ。この関係性は友人関係だけに擬態しているわけではないのでは。確かに、その通りである。しかし、このような関係性の場合、おそらく多く取られるが友人関係である、と私は思う。

 人間関係の維持とは、つまりコストである。とりわけ、コネクションの維持のためだけに投じる場合は、回収の見込みもあるかわからない、ギャンブルに近い性質を持つ。当然、投下資本は最小限に止めるべきである。そうなれば、人間関係において最も希薄でも成立する、友人関係を取るのではないだろうか、と私は考える。恋人関係や家族関係なども選択肢として考えられるが、コストとしてあまりに大きい。この選択を採る場合は、財産など、より明確なプロフィットを確保することが目的となるだろう。

 これが、コネクションの維持のために友人関係を擬態する、いわば「偽友」である。

 

  • 「友人関係」において留意すべきこと

 ここまで、一般的に「友人関係」として語られる人間関係について述べてきた。

 では、これから、何を注意すべきか。一言で言えばそれは、目の前の「友人」が果たしてどれなのか、常に考えるべきだ、ということである。理由は二つある。

 一つ、自らの利益を最大化するために、相手が自分にとって何で、どの価値を有するか、明確にする必要があるから。

 例えば、友人には「親友」として、あらゆる知見、あらゆる考えを求めているとする。しかし、いくら話をしても、その相手は「トモダチ」と同等の役割しか果たさない。そして、「トモダチ」としての期間はすでに終了している。有用なコネクションも無い。この場合、その友人と交流する必要はあるだろうか。おそらく、ない。時間も費用も無駄である。早いうちに縁を切ってしまった方が良い。

 逆もまた然り、である。自分は相手のことを親友だと思い込み、あらゆることを赤裸々に相談する。しかし、相手はそう思っていない。その場合、相手はこちら側に興味がないため、下手をすればその話をコミュニティー中に撒き散らされ、その中での地位を損なうかもしれない。これを回避するためには、そもそも相手が自分のことをさして重要だと考えていない、ということに早く気づく必要がある。

 二つ、相手に寄生される可能性があるから。これは特に偽友に当てはまる。相手が一見、友人のように振る舞っていても、その実コネを求めている可能性は捨てきれない。特に社会的地位の高い、ないしはいずれそうなることが殆ど確約されている立場であれば、要注意である。人間は簡単に嘘をつく。口だけで何を言っていようとも、それがほんとうに相手の意志なのかは、わからない。相手はほんとうに自分の友人か、それとも寄生虫なのか、自らの眼で見極めなければならない。

 

 以上、長々と「友人」について記述してきた。これは無論、私の考えの一角である。すべてがこれで説明できるとは到底思っていない。しようと思うのならば、本が一冊は書けるだろう。間違っている部分も恐らく存在する。

 あくまで、自らの指針の一つとして、頭の片隅に置いておきたい。

 

 徹夜、嫌い。