まどどブログ

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2021.10.09 私の思う人間の特徴について

2021.10.09

 

 まったく筆が進まない。進められないのか、あえて進めていないのか、自分でもわからない。ぬめりとした動悸が身体を覆う。どうしたものか。

 恐らく設定の不足なのだろう。困ったものである。

 

 さて、幾多の思考を連ねていて感じたことがある。それは、私の中で一貫した人間のイメージを明確にしておくべきである、ということ。根底として人間についてこう考えているので、それを軸として論理が展開している、ということを明示しておくのが良かろう。

 というわけで、今日はこのことについて論じる。

 

  • 人間は自己利益を追求する

 とは言え、私が考える人間像とは、たった一つの言葉で集約される。それは、自己利益を追求する、ということ。

 人間は必ずと言っていいほど、自己利益を追求する。快楽。資産。名誉。利益は人それぞれだが、あらゆる事象において、殆ど無意識下でどの選択肢が利益を最大化するか、考える。損失を出さずに済むか、考える。そして、利益を追求する。そのためならば、手段を選ばない。

 当然、これだけ言えば、反論はいくらでも出てくるだろう。法律を守ることは自己利益ではない。他者のためにすべてを捧げる人もいる。慈悲の偉人はどうか。などなど。

 容易に説明がつく。それが己の利益になるからそうしている。ただそれだけの話である。

 例えば法律。これを守らないと、処罰され、社会的地位を失う。それによる直接・間接の被害は避けられない。それを回避するために、法律を守る。法律を破るのは、被る損害を加味しても明らかに利益となる場合である。詐欺などはわかりやすいだろう。殺人なども、自らの快楽とか、苦しい境遇の打破とか、そういった利益が見込めるが故の行為に過ぎないのではないだろうか。

 また、人間は御託が大好きで、お前(恋人や子供、あるいは大切な存在)のためなら何でもする、とか、そういう言葉を並べ立てる。すべて嘘である。厳密に言えば。人間は他の利益のためだけに何かをすることはない。こういう言葉を安易に放つのは、それが純粋に自らの快楽と直結しているからだ。

 例えば恋人。一見、すべてを捧げましょう、と言わんばかりの関係性で、実際にそのようなことを実行している。これは恋人のためではない。そうすることで、自らとその対象との関係性をより強固なものとし、自らの肉体的、精神的快楽を増幅させるために努力している。そうだろう。そもそもその恋人に何らかの利益を見出していなければ、時間的な、そして金銭的なコストを支払っていないのだから。

 御託とて、その愛する対象に何かをしてあげるという行為そのものに価値を見出せるからこその言葉である。これで相手が「誰某を殺して」と言った場合、多くの人間は殺さないだろう。利益は消失し、社会的抹殺という大損失が発生するから。これで実際に殺人に着手するのは、あくまで関係性の利益が殺人を加味してもなお大きいものであったから。

 慈悲に溢れた偉人とて、そもそも慈悲という行為が本人の利益になっているのだろう。人間は多様性に溢れていて、自らの設定した「使命」を果たすためならば、その道中のあらゆる苦難を快楽にしてしまう個体もある。

 つまり、簡潔に言うとこうだ。人間の行為はすべて自己利益の追求に基づいて決定している。その利益とは個々によって異なり、多くの個体からは受け入れ難いものもある。

 

  • この解釈の便利さ

 このように考えれば、人間というものは至極わかりやすい。

 人を裏切るのも、嘘をつくのも、前言をひっくり返すのも、自己利益のため。友人と関係を深めるのも、誰かを愛するのも、自己利益のため。家庭を持つのも、自己利益のため。社会秩序に反抗するのも、利益のため。感情に身を任せるのも、利益のため。「善い」価値観を強く主張するのも、利益のため。

 

 悪いとは思わない。私も実際、こう出来ているのだから。ただ、もう少しこのことを、世人は認識した方が良い。「お前のためを思って」。いやいや。それは「人のことを気遣ってあげている」という陶酔の自己利益であって、私の利益ではない。勝手に人の自己利益を解釈されてしまっては困る。私は私で、他人は他人。そこに本来、干渉の余地など一つもない。

 自らの利益になるか、否か。このことを軸にすべて考えれば、ある程度は合理的な判断を形成できるし、何よりも単純で楽である。他者のため、とか、そういう要素を追加するからややこしくなる。少なくとも、人間にその概念は適していない。我々からさらに数段階進化した生物のためのものである。人間はもう少しお気楽に生きても良いのではなかろうか。

 過激だろうか。しかし、この定義が現状、私の中で最も人間を的確に表現している。今のところ、この仮説における反例を見出したことがない。当然だろう。人間はほんとうに避けたいことを選択しないのだから。