まどどブログ

普通の二十代前半男性が、夢を見るか、破滅するか。そんな人生ドキドキギャンブルの行く末を提供しています。

2021.10.11 『ハーモニー』とわたし

2021.10.11

 

 昨日休んだら、だいぶ創作への意欲も回復した。矢張り、炎が不足していたのだった。

 私のような凡庸な人間にとって、同時になしうるのはせいぜい二つが良いところである。創作と、あと一つ。恋愛か、趣味か、学業か、飲みか、労働か、あるいは。時と場面によって選択するものを変化させれば良いのである。すべてを成すのは不可能である。可能な人間を天才と言う。

 私は才能など、努力から逃げる言い訳に過ぎないと考えているのだが、己のキャパシティを自覚することもまた重要な過程。要はバランスが肝要なのだ。私はどうにも極端に走るきらいがある。よくない癖だ。

 

  • 『ハーモニー』とわたし

 今日は少し思い出でも語りたい。『ハーモニー』との邂逅である。

 『ハーモニー』。言わずと知れた、伊藤計劃氏のSF小説。これと出会ったのは確か、大学入学の年だったか。冬であった。凍てつくような寒さであるのに、珍しく雪も降らず、ただ陰鬱とした晴れが続く日々。大学生活の虚ろさに薄々気づいていても、そんなはずはない、これは楽しい、そう思い込んでいる私と、同じだった。

 『PSYCHO-PASS』をひたすら観ていた私。公式チャンネルの動画のあと、オススメに出てきたのが『ハーモニー』の劇場版であった。ちょうどそのころ『Project Itoh』が進行していて、私は、伊藤氏の作品に強い興味を持った。小説を購入し、『虐殺器官』を読み、感銘を受け。その次に触れたのが、この作品である。

 はっきりと言っておく。これについて述べるには、軽く一万字を要する。それほどに、私にとってはコペルニクス的転回であり、パラダイムシフトであった。私の価値観を、紫に塗り潰してしまった。

 論ずる要素は多々あろう。私の友人はこの作品の感動ポイントとして、『問題提起に対して結論を出さないこと』であったらしい。小難しくて忘れてしまったが、作中で触れられた哲学的概念に関して、結局作中で結論を出さずに終わった、それによって勇気付けられた、とのことだった。私には無い視線だ。知識と知恵と、あと頭の良し悪しによって、こうも大きく見方は変わるものだな、と個人的には感動したものである。

 私もあらゆることを考えさせられた。ここでは、その中ですべての根にあるものに触れたい。それは、意識への疑念、根本への疑問である。

 

 『ハーモニー』の中で、意識は糖尿病と同様、必要に駆られて人間が獲得したものであり、それはつまり進化の過程で必要なくなっていくものではないか、という疑問が投げかけられる。これについては、恐らく哲学的な議論も根底にあるのだろう。だが、私が述べたいのは、これではない。そもそも、意識に対して疑念を向けたこと自体、私の価値観を大きく狂わせてしまったのだ。

 私はもとより、純粋潔白な少年である。この世のすべてを当然と受け止め、それに疑問を抱くことなく、従って生きてきた。自分自身もまた、その中の一つである、そう思い込んでいた。

 それは立ち行かなくなっていた。中高一貫校という狭い箱庭に飼い慣らされていた私は、大学で多少は社会というものを知る。そして、私自身、社会の回転を乱す出来の悪い歯車であることが、徐々に明らかになっていく。

 当然、受け入れられるはずもない。私が社会から疎外された人間など、いったい誰が信じられようか。それでも、日を追うごとにそれは確たる証拠を帯びつつあった。異性に一切の興味を抱けないこと。同性に魅かれてしまうこと。人との交流に楽しみを見出せなくなっていくこと。周囲の言動が不必要にまで思えてしまうこと。品行方正な社会の一員。遠く離れた、私。それでも私の心が、私を拒絶した。すべて押し込めて、自分を騙した。自分を社会に押し当てた。苦しかった。

 『ハーモニー』はそんな私を嘲笑った。意識など果たして必要か、当時の私からは乱暴に思えるほど、素直な疑問を投げかけて。意識が必要かどうかなど、考えもしなかった。当然だと思っていたから。社会が存在することも、自分が社会の一員であることも、社会の一員として相応しい行動を求められていることも。

 救いだった。疑うことに、罪はない。私はそう知ったのだから。

 

 とはいえ、『ハーモニー』がほんとうに私を救うのは、コロナ禍に入ってからだった。

 私は『ハーモニー』に出会ってもなお、社会の正しい人たることを諦められなかった。サークルでは中心的役割を果たしたし、イヴェントには積極的に参加したし、馴れ合いにさえ加わった。異性との恋愛すら試みた。私はまだ、弱かった。それに、楽しかったから。心の渇きは一向に満たされず、ただ表情筋だけが上方へと移動し、口が自動的に回り出す、そういう楽しさだった。

 コロナ禍で、他者と強制的に切り離された。虚像は一気に崩れ去った。すべてに疑問を抱いた。なぜ働かなければならないのか、わからなくなった。なぜ社会で生きなければならないのか、わからなくなった。なぜ生きているのか、わからなくなった。レールは失われた。親しい人は皆、心の中から散っていった。私は霧中をただ、漂っている。孤独で、切なくて、音も聞こえなくて。そんな霧である。いまも。

 ただ、と私は思う。コロナ禍がなかったとしても、私はいずれ脱線していただろう。レールは既に破断していた。『ハーモニー』に出会ってしまったから。

 いま私は、とても幸福だ。出口のない、どこまでも広く横たわる平面を、ただうろついている。列車出会ったならば、決して見えない世界だった。

 私の世界は、変わったのだ。

 

 こういう作品を遺したい。一人でも多く、新しい世界を届けたい。

 私はこうも、思っているのであった。

 

 今日の文章、すごく良くないですか?

 やっぱり俺は天才だね。