まどどブログ

普通の二十代前半男性が、夢を見るか、破滅するか。そんな人生ドキドキギャンブルの行く末を提供しています。

2021.10.11(2)

 失礼。今日は二つ投稿させて欲しい。とは言っても、こちらは手短に終えるつもりだ。

 矢張り、駄目だ。近頃の私の創作には、魂がない。他者の魂を揺さぶるほどの力がない。先々週の作文は、まだ目に入るものだった。それ以降は、てんでダメ。無価値と言っても良い。魂のない文章。最近の小説にありがちだが、はっきり言おう、何の価値もない。ただ食されるだけの百円の食パンよりも、価値がない。敢えて小説である必要性がない。百円のパンの方が幸せである。食事の方がよっぽど美しい。ファストノベル。だから、小説は廃れていく。漫画に置き換えられる。

 私が古典を好むのは、こういう理由もある。小説は時代を降れば降るほど、どんどん価値を失っていく。

 

 そんな話はどうでもいい。私は魂を失ったとき、良い作品に答えを求める。善い作品とでも言おうか。霧の中でも、善い作品は街灯になる。今日は『アクタージュ』を読んだ。途中まで読んで、やめた。

 完敗だった。設定から、魅せ方から、言葉の重みから、何から何まで。キャラが命を持っていた。漫画とは言えど、紙面に展開すると言う意味では類似する世界を持つ。原作の先生も、作画の先生も、私とは桁違いの魂を持っていて、紙面に落とし込んでいる。

 ああ、これが挫折なのか。私は凡庸で非才な人間である。すべてにおいて、彼らに敵うものはない。壁を知った。魂の落とし込み方など、才能以外の何者でもないのだから。

 

 諦められるだろうか。そんなわけがない。諦めることは、私にとって死と同義なのだ。このまま社会人になって仕舞えば、私はいずれ死ぬ。労働という無価値の産物に耐えられず、自殺でこの無価値な人生に幕を下ろす。ああ無価値だった、と言って、ビルの屋上から絶景を愉しんで、そのまま堕ちる。そして無に帰す。そんなこと、受け入れられるわけがないだろう。

 彼らに勝てるものは何か。勝てるもの。誰にも負けないもの。私はこれを武器にするべきなのだ。

 

 一つだけ、あった。

 憎しみ。労働への憎しみ。死への憎しみ。人間への憎しみ。私を裏切った友人への憎しみ。私に虚像を見せつけた父への憎しみ。愛という苦しみを私に与えた親族への憎しみ。私はこの世が心底憎い。憎くて、憎くて、たまらない。すべて滅びて、消えて仕舞えば良い。

 私が持つ価値。誰にもない価値とは、たったこれだけなのだ。もう、これでしか戦えない。これに身を投じて、自分を飲み込ませる以外に、もはや道はないのだ。

 滑稽に見えるだろう。仮に読者がいるのなら、良い歳して何を言っているのだろう、と嘲笑うだろう。どうせ私の周囲の人間は、これを見て嘲るだろう。こいつは愚かなことを言っている、と。厨二病の遅い発現だ、現に実を見ろ、などと。

 私はそれすらも憎い。今は強く感じる。非才な私も、誰にとっても価値のない私も、一人として理解者を見出せなかった私も、すべて。

 矢張り、挫折というのは良い。自らの原点を思い出させてくれる。

 はっきり言おう。私とは本来、このような人間なのだ。誰に見せたこともない、ほんとうの私。

 私は、すべてが憎い。私ですら忘れかけていた、私の存在理由。

 

 価値のない人間に生きる資格などない。それは私も同じ。

 私は価値を求める。価値を欲する。

 わたしにとっての価値とは、憎しみ。ただそれだけ。賢さですら、知識ですら、愚かさですら、果てには狂気ですら、私は他の誰よりも劣る。そんな私が持っているのは、すべてにたいする憎しみ、ただこれだけなのだ。

 これは覚悟である。私が価値を勝ち取るための。文に魂を与えるための。

 挫折に立ち止まってなどはいられない。私にもう、一刻の猶予もない。

 死にたくない。こんなくだらない世界に、私は屈したくない。

 綺麗事はもうやめだ。綺麗事で誰かに敵うはずもない。

 この世が憎い。ただ、それだけの話だったのだ。