まどどブログ

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2021.10.16 普通に生きるという選択肢について

2021.10.16

 

 すべてへの憎悪。これはどうも、間違っていないようである。五日経っても、憎悪の灯火は消えることを知らない。むしろ、黒くなっていって、粘り気を持って、広がりを見せる。原油だろうか。

 

  • 私はほんとうに普通の人生を送れないのか?

 これは実際のところ、根源的な問題である。私は大学に入学するまで、いやコロナ禍によって強制的に社会から隔離されるまで、創作に毛ほどの興味はなかった。自らの中で沸き起こる憎しみに気づいたからそれを創作へと昇華させようと考えただけであって、天性のアーチスト、というわけではないのである。

 であれば、実際に普遍的な生活へと移行して仕舞えば、さして大きな支障もなく生きられるのではないだろうか。

 サラリーマンとして会社のために尽くし、運が良ければパートナーにも恵まれ、親にもある程度の恩返しをする。子を成すつもりもないので、資金もある程度は貯まるだろう。その金で、趣味の旅行と、自動車を堪能する。ごく平凡で、ありきたりで、ぼんやりとした潤いに包まれて、生を終える。

 このまま憎しみに動かされて創作の道へと進めば、およそこれらは望めない。最近気づいてしまったのだが、私は文才、というより想像力に恵まれているわけでもない。のっぺらぼうなのだ、私の中の人物は。鍛錬でなんとかなるものなのかもしれない。とはいえ、ここまでとは。強い挫折の中にいるのだ、私は。

 それでも、仮に創作の道へと進むなら。私は強い言葉で、前者の幸福な人生を否定しなければならない。実は前者を、私は明確な理由を以て否定しているわけでもない。ただ、「虚しいから」という一語で、なんとなく忌避しているだけなのである。

 ここで明確に説明する義務がある。私が前者の人生を選択しない理由。幸福を拒絶し、憎しみにすべて捧げる、その理由を。説明できなければ、私はもはや創作などしないほうが良い。向いていない。ただ、現実に戻るだけだ。

 

 ちなみに、憎悪は理由にならない。憎悪は創作の根源。創作をしないならば、憎悪は抑え込むだけである。あるいは。

 

  • たった一つの理由

 十分程度考えた。答えが出た。というより、数ヶ月前にはすでに、気づいていたことだった。

 つまらないから。普通の人生は、予測可能が過ぎて、つまらないのだ。

 客観的事実として、私は優秀な事務的能力を有している。この能力を以てすれば、親族一同が皆そうであるように、あるいはそれ以上に、順当に社会的地位を向上させていくことだろう。大きなトラブルでも起こさない限り、死ぬまで順風満帆な人生が予測される。人生は、新幹線のように優れている。

 

 私はそんな人生を送りたいと思わない。何故か。私は開拓者だから。

 あの、原野の果てへの好奇心。切り拓く快感。私からこれらを奪うか。そしたら、もう屍となんら変わりない。私は生い茂る木々の中を歩いてこそ、私でいられるのだった。

 そして創作は、最後のフロンティアなのだ。絵画。文学。彫像。音楽。なんでも良い。私がこれまで逃げ続けてきたものが、創作だった。この分野で私は、殆ど赤子に等しい。だからこそ、快楽なのだ。私は快楽主義者である。*1

 同様に逃げてきたスポーツも考えた。しかし、肉体的衰えが加速すること、関節部分が脆いこと、身体の連動がどうにも上手でないことを考えると、現実的な選択ではない。

 それに、魂の表現として適しているのは、創作であると思う。この憎悪を的確に具現化するのは、何か。創作である。と、無意識で思っていたらしい(憎悪が私の根源であると気づいたのは、つい一週間前のことである)。

 

 無論、前者でも予測不能な事象は予想される。病にかかるかもしれないし、勤め先が消失するかもしれないし、騙されるかもしれないし、家族にトラブルが発生するかもしれない。確かにこれらは予測不能だ。

 しかし、これはどこまで行っても、受動的なものに過ぎない。走行中、地震に見舞われて、脱線する。だからと言って、好奇心も快感も、満たされるものではない。ただ、進んでいたら邪魔された。ああ、なんとつまらないことか!

 私は夢を見ていたい。大人になどなりたくはない。私の内面は、十三歳の頃と何ら変わりはしない。

 だから私は幸福を拒絶する。予測可能だから。先が見えているから。つまらないから。

 

  • 若気の至り、疑う余地なく

 若気の至り、といえば、そうなんだろう。四十の私は、この私に対して、憎悪を強く燃やしているはずだ。

 なぜあのときこんな無謀な選択をしたのか。社会を受け入れ、創作などという腐った果実を捨てさえいれば、今頃はもっと裕福な暮らしが約束されていたのに。

 こう言い終えると、ビルの屋上から、死へ旅立つ*2。最も高確率で選択されるであろう、哀れな結末だ。

 それでも、私は諦めたくない。人生をすべて憎しみに飲まれようとも、家族も、友すらも見捨てようとも、凡才の足掻きという最も醜悪な行為を晒そうとも、私は創作を諦めたくない。

 私が私でいるためには、創る他ない。きっと、ずっと分かっていたはずだ。

*1:※現状では、文字を大量生産するという行為には慣れ親しんでいるので、そのバックグラウンドを活かせる文学に興味を持っている。しかし、その実、適しているのであれば何でも良い。

*2:ちなみに、ビルの屋上から飛び降りる、というのは私の考える中で最も美しい自殺である。