2021.10.31
いやはや、なんということか。まさかこれほどまで、私が怠慢であるとは。
今日、私は正午に起床した。これ自体は何ら問題ではない。その後が問題であった。
私はルーティンとして、起床、朝食、洗顔、歯磨き、着替え、という作業を朝に行う。これには長くとも一時間、早ければ三十分を要する。故に、このブログ執筆についても、十三時ごろに取り掛かるだろうと予想できる。
いま、十五時三十分である。三時間半が溶けてしまった。何故か。朝食後、速やかに布団に入ってしまったが故である。なるほど、確かに私は昨日、歯磨きの後、すぐにこれに取り掛かることとした。であれば、その前で布団に入って仕舞えば良い。なんと賢いのだろう。
そう、私はいつも、このパターンである。何かルールを設ける。すぐにその抜け穴を見つける。そしてサボる。結果、何もしなくなる。よく出来ているではないか。頭脳をすべて、怠けることに費やしてしまっているのだ。それでは、何の意味もない。私は怠惰の私に、真っ向から勝負する。早速ルールを見直す。
そもそも工程が数段階に渡っているのが問題なのだ。この工程の中で、私は必ず自室を経由する。洗顔剤などを取りに行くためである。これではサボる機会が出来てしまう。意志でどうにも出来ないのならば、そのサボる要因を取り除くしかない。
これまでの傾向から考えれば、朝食→洗顔と、歯磨き→着替えの間で、私は布団に入ってしまうことが多い。洗顔→歯磨きは、同一の工程という認識が強いからか、比較的遅滞なく執り行われる。
では、こうしよう。
・朝食時、必要なものをすべて自室から移動させておく
自室を経由するのが問題なのである。自室さえ通らなければ、寝ることも出来ない。
・洗顔後に服を着替える
洗顔後にはどうしても自室に戻らざるを得ない。ただ、その後の歯磨きは、比較的スムーズに進む。であれば、そのときに着替えて仕舞えば、歯磨き→着替えという関門そのものを消滅せしめる。
・このブログは着替え次第速やかに取り組む
服を着替えないで何か作業に取り掛かるは良くない。夢が昼間でも続いてしまう。
これである程度は軽減できるであろう。
とってもどうでもいいことだと、我ながら思う。しかし、こうしてサボる要因を一つ一つ潰していかなければ、私はどこまでも寝る。その自信が私にはある。ちなみに、今ですら、とても寝たい。いつまで我慢できるだろうか。
それにしても、内面を自己から切り離し、客観視することが、どれほど楽なことか。気合だとか、根性だとか、そういう詭弁を用いて自己そのものを変えようとするのは——それが出来れば望ましいことは間違いないが——あまりに遠い道のりになる。カイジにも「座禅で欲望を抑えられれば苦労しない」という言葉があるように、心の持ちようだけで人間の内面というのはそう簡単に変わらない。私はこれを、半年間で強く実感した。であれば、自己のことをよく分析し、自己の考えそうなことを一つ一つ丁寧に弾圧していくことが、近道となるわけだ。
怠惰な私そのものを矯正しようとするよりも、それを受け入れ、別の個体として認識するほうが、よほど視覚化されていて分かりやすい。案外「自己を受け入れる」というのは、こういうことを指すのかもしれない。