まどどブログ

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2021.11.01 世襲と名前について

2021.11.01

 

 午前中に用事のある場合、帰宅、昼食後、速やかに取り掛かる。遅くとも14時までには机に向かう。これは用事のない日も同様とする。

 Twitterを見るのはやめろ。Twitterを見るくらいなら、さっさと椎本巻と総角巻を読み終える。

 

 今日も、背景知識もなにもない、一個人の妄想を連ねる。

 

 昨今話題の政治家で、世襲議員などと呼ばれる方々がいる。むしろ、私の知る限り、特に政権与党において、世襲でない議員をあまり知らない。いや、いるにはいるのだろうが、どうしても親の名前が有名だと、私のような政治そのものに殆ど興味のない人間にとって、その子孫に注目もいく。

 私はこれに関して、なんら反感などない。それどころか、平安時代を好む私にとって、一種の貴族政治のようで趣深いところもある。政治の世襲、というシステムがかなり色濃く現存していることに感動すら覚えるし、やはり日本人は世襲が好きなんだな、と少し安堵する部分もある。ただ、近代以降の家柄が殆どではあると思うので、手放しに賛美できるかと言われれば、そういうわけでもない。

 話を戻そう。彼らの面白いのは、名前が親に似通っていることだ。漢字を借用する、似たような音感にするなど、とにかく似ている。理由は恐らく簡単で、子供である、ということを明示するためであろう。小選挙区において、後継者が誰なのか、ということは有権者にとって明確な必要がある。故に、似たような名前にして、明らかに子供である、ということをアピールするのであろう。その点で、世襲議員であるにも関わらず、一切親と無関係な名前の持つ先生を見ると、家庭を感じられて、少しほっこりする。

 ところで、周知のように、平安貴族や武家の多くが、基本的に親や先祖の名前を代々受け継いでいる。あまりに似通った名前が多いので、同時代の人物では区別が付かず、系譜図が欠かせない。彼らは選挙によって選ばれるわけではないので、当然上記のような合理的理由はあたらない。それでも、歴史的に、親の名前を子供が引き継ぐ、という例が見られる。そして恐らく、これは日本だけの例ではない。

 現代、というか平民の我々からすれば考えにくいのだが、やはり「家」を継ぐということは、名を継ぐ、ということになっているのだろうか。そもそも名とは何だろう。我々にとっては純粋な個体識別記号でしかないわけだが、恐らく世襲するような身分の人間にとっては、そうではない。彼らの背負うものとは、純粋な一個人の存在だけではない。荘園、領地、資金、文書、地盤——時代によって差はあれど、先祖の資産、ひいては先祖の存在そのものすら背負う。それが脈々と受け継がれ、そして当代で受け止め、次代へと繋ぐ。この覚悟が、もしかしたら名の継承という形で現れているのかもしれない。

 

 これは案外、難しい問題かもしれない。名とは何か。これについては、少し勉強しなければなるまい。