まどどブログ

普通の二十代前半男性が、夢を見るか、破滅するか。そんな人生ドキドキギャンブルの行く末を提供しています。

2021.11.03

2021.11.03

 

 一日中用事のある際には、帰宅後、ないし入浴後に速やかに取り掛かる。

 

 俺は一体、どうすべきなんだろう。結局俺は、何も変わっていやしないのかもしれない。

 中高時代、俺はあれほど青春を謳歌した。それなのに、大学に入った途端、あれほど楽しかった世界そのものはすべて失われて、思い出になってしまった。単なる思い出に何の価値もない。中高時代の活動はすべて無に帰した。当然、あれは自身の能力の礎となっていることだろう。それでも、何も遺らなかった。

 俺は消えるのが怖いんだろう。消えたくない。なぜ消えたくないのか。自分を愛しているから。仲間外れにされたくないから。人間が嫌いだから。なぜかは、わからない。それでも、消えたくない。

 普通に生きることは、消えることだ。社会に出て、働いて、仕事に身を捧げる。それは、消えることだ。何も遺らない。会社のために尽くした。それが、結果として社会に良い影響をもたらした。それじゃ何の意味もない。俺は消えてしまう。消えてしまう。それは無価値だ。

 俺にとっての価値とは、即ち、代替不可能性そのものだ。かけがえのない存在。それこそ、価値ある人間となる。社会人はその意味で、一切の無価値だ。別に、その人でなければいけないことなどない。それはほんとうの部分で、誰にも出来る仕事だから。

 無価値になって、とうめいになってしまうのが怖いから、創作に手を出した。創作は、遺すことができる。遺されたものは、誰にも再現できない。そういう意味で、価値があるから。絶対に、消えやしないから。

 

 でも、俺はたまに思ってしまう。これは正しいのか。

 苦しいから。つらいから。そういうことから逃げたいわけではない。生きることはつらい。でも、消えてしまうのはもっとつらい。それなら、まだ創作の方が、つらくない。

 それでも、たまに考えてしまうのだ。俺はほんとうにこれを望んでいるのだろうか。憎悪に身を賭して、誰のことも心から信じることも出来ず、誰かを愛することも出来ず、このまま。俺は恐らく、創作の才能がない。たぶんこれは、事実である。それでも足掻く。消えたくないから。

 しかし、気づいたのだ。人を憎めば憎むほど、この世界は腐っていく。無論、俺の目から見て。何気ない会話も、楽しげな親族の集まりも、友人との会食も、だんだん、色あせていく。その最中は良いかもしれない。でも、終わったとき、途方も無い虚無が待ち受ける。俺を襲う。世界はどんどん、狭くなっていく。社会に出ることがただ、憂きことと思われる。どうせ大成もしない創作に堕ちて、俺は世界の色を消す。それでも、俺が無価値であることを受け入れたら、俺はそのとき、絶対に死ぬ。どんな意味でも、死んでしまう。だから創作しかない。創り続ける以外に、生きる道なんてないんだろう。

 じゃあ、俺がほんとうに望んでいること。たぶんほんとうに望んでいることは、想い人と結ばれることだろう。彼だけだったのだ。俺が、打算とかメリットとか、そういうものを一切無視して、ただ身を焦がしたのは。彼を見たとき、魂が震えた。人間なんて、男でも女でも関係なく、数百人と見てきた。会話も交わした。それでもそういう人間は彼だけだった。はっきり言って趣味から性格からすべて合わないし、顔も別にそれほど良いわけではないし、優れた知性を有しているとも思えないし、コネクションが極めて有用に働くとも思えないのに、どうしようもなく好きになってしまった。ひと目見て、すべて奪われた。そういう人は、彼だけだった。

 でも、もうそれは叶わない。連絡を断ってしまったから。執着をどうしようもなく抑えられなくなったし、言動に現れるようにすらなった。だから、もう切ってしまおうと思った。これ以上の関係性は明らかにデメリットだった。それに、恐らく向こう側も、こちらに愛想を尽かしていた。彼には彼で、パートナーがいた。そんな彼からしてみれば、男からしつこく連絡が来たら、クソキモいに決まっている。実際、連絡もかなり滞っていた。だから、切れるように差し向けた。願い通りになった。俺はもう、そんな不合理から逃れたかった。無駄だから。

 それで、どうだろう。変わっただろうか、俺は。何にも変わっていないだろう。明らかに向いていない創作などに手を出して、教養人ぶって、世界を憎んで、自らの愚かさを呪って。それで、何が変わったというのか。

 俺は結局、この未練を一切断ち切れていない。結局、あの感情の代替を、探している。いや、それすらしていないのかもしれない。この執着を、覆い隠そうとしている。そして、覆い隠せずにいる。

 

 どうすればいいんだろう。どうすれば切れるのか。新しい人を探せばいいのか。その想いを創作にねじ込めばいいのか。それとも何か、山でも登れば良いのか。六条御息所のようになってしまえばいいのか。

 友達に相談した。その人はこう言った。「お前なら良い人が見つかるだろう。そうすれば自然に忘れる。だからあまり執着するな」。それじゃダメなんだ。俺が心の底から愛した人間は、彼だけだから。

 そう、俺が好きになった人間は、彼以外にいない。いないと言ってもいい。どんな不満があったとしても、その顔を見れば飲み込んでしまう。どんな苦しみでも、彼の言葉で吹き飛ぶ。彼の言葉で、どれほど後押しされたことだろう。俺はどうしても、発言の真意を探ろうとしてしまう。相手がほんとうは何を求めているのか、考えてしまう。そうしなかったのは、彼だけだった。当然、彼にとって俺はどうでも良い人間で、彼の発言に大した意味なんて含有されていないことなどわかりきっている。それでも、目の前にして、そう思えなかった。

 いっそこのまま、身を滅ぼしてしまおうか。「聞かでややまむ」などと言って、迫ってしまおうか。そうすれば俺の人生は完全に終わる。どうせ何も出来ない人生なんだから。

 いや、それは良くない。それでは、何の価値もない。無価値に陥ることだけは絶対にしてはいけない。自暴自棄になってはならない。価値を求めなければならない。

 

 冷静に考えよう。彼と結ばれることが、何よりも幸福で、価値ある行為だ。しかし、それは叶うわけもない。彼ともう二度と、会うこともないだろうから。であれば、どうすべきか。方法は二択で、これを完全に覆い隠すか、代替する何かを見つけるか。

 前者であれば、今やっていることの延長線になる。恋慕を隠すには、諦観は最も相性が良い。憎悪と、空しさを、ひたすら増幅させる。そうすれば、たまにこうして嘆きに狂うことはあっても、少なくとも価値に弓を向けているという姿勢で、気の紛れることだろう。ほんとうに意味のあることかどうかは、別として。

 後者は、何だろう。死だろうか。死は敗北である。自らの消失そのものなのだから。選択してはならない。

 

 どうすればいい。わからない。だから当面は、創作に身を投じる。

 彼とばったり、街で会ったりしないものか。会わないだろう。会ったところで、気まずい会話を数度交わして、終わりだろう。関係性は二度と戻らない。

 そもそも、こう思うこと自体が、無駄である。これを殺す手段を講じるのが、よっぽど合理的であろう。

 ただ、これだけは記しておこう。俺はなぜ彼から愛されないんだろう。こう恨んだことくらいは幾度もある。俺はこんなに愛しているのに、何よりも大切に思っているのに、決して結ばれない。こんな不条理、あって良いのか。

 あって当たり前だ。そう思っているのは自分だけで、それに応えるメリットなど向こう側には何もない。不利益はすべて自分のものなのだ。恨んだところで、何の価値もない。

 どうすればいいのか。わからない。ああ、どうすればいいんだ、俺は。結論が出ない。無価値なまま、一生を終えるのだろうか。終えるのだろうか。それだけは絶対に嫌だ。かと言って、ほんとうの幸いなど、実現するわけもない。どうすればいい。どうすれば。

 これはしっかりと考えるべき問題であろう。

 

 それにしても、まったく狂気の沙汰である。作家や漫画家など、狂っていなければやっていられない。自分がきっと大成すると信じて、自分自身を神のように見立てて、ひたすら作品にのめり込むのだから。俺に果たしてその才能があるか。これは見ものである。