まどどブログ

普通の二十代前半男性が、夢を見るか、破滅するか。そんな人生ドキドキギャンブルの行く末を提供しています。

2021.11.11 かわいいという感情の要因について

2021.11.11

 

 月に一回、青天を迎えることがある。頭が冴え渡るのだ。こういうとき、むしろ家にいる方が作業は効率的に進む。外部ディスプレイを使用することで情報の表示領域が広がるし、何より、自分だけの世界の方が、心安らぐ。

 とは言え、それは月一。しかも、何か法則性があるわけでもなく、偶発的に発生するもの。法則性を見出そうとして早半年間、結局それすらもわからず。そんな運否天賦に身を任せていては、恒常的に一定以上の質を保った作品を生産することなど出来ない。だから、いずれにせよ、家から出て作業する方針は変えないほうがいい。

 

  • 男性的可愛らしさの真髄

 私は可愛いものが大好きである。特に動物、特に哺乳類。狐も狸も象も海豚も皆可愛い。どうにもあの独特な匂いが苦手なので、動物園には疎遠になってしまったが、それでも、可愛いものは大好きである。

 それは人間でも同じ。可愛い人間も、動物ほどではないが比較的好ましい。特に男性的な可愛らしさというものには、そのギャップに心揺さぶられてしまって、どうにも悶えてしまう。男性らしさを全身に帯びているのに、それなのに、どことなく愛らしさが潜んでいる。そういう人間が、少数ではあるものの、存在している。なぜ女子は友人に「可愛い」と言う権利が与えられているのに、男子にはそれがないのであろう。不条理ではないだろうか。私はいったい、どれほど君が如何に可愛らしいか、褒め称えたい衝動を我慢してきたか。恋愛感情の有無に関わらず、可愛い人間は可愛いし、特に男性であれば、男性らしさに対する付加価値として、その魅力は強く増す。

 ちなみに女性の可愛らしさはそれほど好まない。女性は前面にそれを強く出す。それでは、奥ゆかしさがない。可愛らしさというのは、本人が自覚していない、ないし自覚しているもののそれを隠している、という一種の古典的遠慮がより一層それを引き立てるのである。どちらかと言えば、女性は美しいのが良い。

 その意味で、男性の可愛らしさというのは如何にも芳しい。男性というものは、概ね「強くあれ」という価値観によって形成される。それを疑っていないし、自分もそうあって当然であると思っているのに、可愛らしさが漏れ出ている。例えば、背が低い、動きがどことなく機敏で小動物じみている、珍しい景色に異様に興奮する、言葉遣いが稀に幼い、など。人によっては、それをコンプレックスに感じて、克服しようとまでする。筋トレであったり、スポーツであったり、果てには言葉遣いであったり。そう、まるで猫や犬が、己の弱さを少しでも見せまいと、虚勢を張って威嚇するかの如く。

 ああ、勘弁してくれ。たまらない。なんと愛しいことか。世の人間は、もっとこういう男性を愛でて然るべきなのだ。願わくば、こういう者をパートナーに奉りたい。少しくらい、この世の内でも、表情筋の溶ける体験をしてみたいものだ。

 なお、言うまでもなく自分のことを可愛いと思っている男性は嫌いである。本来あるべき強さから大幅に逸脱しているのは、まあ良い。しかし、それを肯定し、これ見よがしに誇示するのは、趣を殺しているようなものだ。浅はかに過ぎる。

 

  • なぜ人は「かわいい」と思うのか

 しかし、私はこう思う。私はなぜ、可愛いと思うのであろうか。

 そもそも、可愛いという感情は何であろうか。経験則、及び周囲の状況から判断するに、守りたい、即ち保護の感情によって発生するものではないか。例えば子供を可愛いなどと考えるのは——私は到底理解できないが——子供は保護しなければならない対象であって、それを担保するものとして、可愛いという感情を想起させているのではないか。また、自らより小さいものに対してそう思うのも、小さい、つまり弱い対象があって、弱い対象に対して起こるのが保護の感情であり、可愛いという感情なのではなかろうか。当然、ほんとうに守らなければならないかは別として、少なくとも本能的には、このような動きが為されているように、私は思う。

 つまり、弱い事物を可愛いと認識する。子供も、小動物も、皆弱い。だから可愛い。

 しかし、ここで一つの反論が想定される。熊や狼は、弱いだろうか。無礼な態度を取れば、殺されても何ら不思議がないのは、この二種である。しかし、少なからず可愛いと考える人間が多いように思える。彼らは我々なんかより、余程大きいし、強いのに。

 動きが、かわいいと思っている動物に若干似ているため、その感情がそのまま移植されたのであろうか。例えば熊はパンダ、狼は犬、のように。わからない。これについては、私も結論を見ていない。少し考えなければならない。

 

 ちなみに、私は可愛い人間を自分より弱いなどと考えていない。無意識レベルではそういう機能が存在しているのかもしれない、ということであって、可愛い人はただ可愛いのである。