まどどブログ

普通の二十代前半男性が、夢を見るか、破滅するか。そんな人生ドキドキギャンブルの行く末を提供しています。

2021.11.18(残134日) 生き方について① / 美しき人生という命題への和睦について

2021.11.18

 

 眠い。どうして毎日こんなにも眠いのであろうか。寝たいが、人間というのは自らの欲求に忠実には生きられないようになっている。というより、人間がすべてそうとも言える。いずれにせよ、今現在とても眠い私でも、眠ることなど出来ない。

 取るに足らぬ話だ。今日は人生の話をするのだ。無論、私の人生について、であるが。

 

  • 人生に関する最大の課題:美しさとは何か

 私は、人間の生とは美しくあるべきであると考えている。理由はない。美しいものは目に良いし、魂もより尊いものへと整えられる。美しいことを愛するのは、理性に与えられた天命である。理性に生きる人間にとって、美しいものは最も称賛されるものであることに、疑う余地などない。醜いものは醜く、美しいものは美しい。

 当然、私も美しく生きたいと考えている。では、人生において、美しいとは何か。何が、私の人生を美しく引き立ててくれるのであろうか。その実、これについて私は一切結論を見ていない。そう、一切わからないのである。美しいことが素晴らしいのは、本能が教えてくれている。しかし、その美しさとは何か。それを未だ、判断できていないのである。

 では、今日ここで何を記すか。この「美しさとは何か」という命題に対して解を得る、その解答手法について、まずは整理しておこうというものである。

 

  • 解法そのいち:抽象

 美しい、と私が思う人生というのは、数多存在する。その数多存在する具体例を多く集め、並べ、比することによって、美しさの本懐を会得する。これが、解法として思いつく第一手である。私は論理学にも疎いので、この呼名が正当かどうかは知らないが、仮として抽象とでも名付けておこう。

 

  • 解法そのに:対立軸の設定

 美しい人生に相対するものとは何か。それは醜い人生であろう。では、醜い人生とは何か。滑稽な人生であろう。私が面白おかしく感じるようなものは、私がその人生を生きようと一切思わない点で醜い人生と同定して良かろう。であれば、滑稽な人生とは何か。それを考え、その逆を考えることによって、美しい人生の全体像が朧気ながら見えてくる。適切な言葉を私は知らないので、これを対立軸の設定、とでも名付けておこうか。

 

  • 解法そのさん:演繹

 美しい、とは、そもそも人生に限らず、すべてにおいて持ちうる概念である。では、美しいとは何か。如何なる要因によって発生するものか。それを考え、それを人生に当てはめることで、自ずと美しい人生が導出される。これを、仮に演繹とでも呼ぶ。

 

 この程度であろうか。それ以外にも、思いついたものは適宜追加していきたい。これは私の人生の課題である。これまでの私の、何と無自覚で野生的なことか! 理性に生きると判断した以上、どのような場合においても、必ず美しく生きなければならない。そのためには、必ず、その人生を定めなければならないのだ。

 では、いつまでに美しい人生を決定付けるか。これは決定している。来春、三月三十一日まで。労働の開始と同時に、私は恐らく一旦、死ぬ。死んで仕舞えば、恐らく思考もままならない。そうなってしまう前に、美しい人生に定義を与え、そのように生きるようハンドルを固定しておく。そうすべきなのだ。故に、この期限を設定した。

 さて、私はどのような人生に道を敷くのか。適切な筋を見出さなければ。

 

 そうそう、私は労働の開始を、「精神の仮死」と呼ぶことにした。私は労働とともに死ぬ。しかし、それは肉体的な死ではない。舵さえあれば、私はいつでも復活できる。故に仮死である。