まどどブログ

普通の男子大学生が、有名作家になるか、破滅するか。そんな人生ドキドキギャンブルの行く末を提供しています。

2021.11.28(残124日) 可愛いの正義について

2021.11.28

あと124

 

今日は所用によりiPadを使用している。キーボードが小さくてやたら使いにくい、などと思っていたが、横置きにすればそれが解消されるということについさっき気づいた。

いや、それでも使いにくい。今度は大きすぎる。

 

⚫︎可愛いは何故正義なのか

 

そういうわけで、今日は何かを長々と記す気もない。可愛いという正義について述べたい。

よく、可愛いは正義、などと言われることがある。これは主に女性の文脈において使われることが多い様に思われるが、私はすべてにおいてこれが適用されると思っている。

例えば猫。彼らはかなり我々に対して不遜な態度を取る。しかし、我々はそれすらも愛してしまう。可愛いから。つまり可愛いは正義なのだ。

では、何故正義なのか。我々はなぜ、可愛いものを許すのか。

これには二つの側面があると考える。一つは本能。可愛いは可愛い。こればかりは、少なくとも現状において、私に説明能力がない。

そしてもう一つ。これは弱者という潜在意識によるもの。無意識下で、弱者への保護意欲が働いているが故のように思える。

以前私は、可愛いとは弱者への感情であると述べ、一方で強者たる狼や熊についても可愛らしさを見出すのがこの仮説の課題であると述べた。これについて、実は矛盾なく説明できるのを見つけた。

狼や熊の放つ愛おしさというものは、人間への危害を観測できない場合に限る。例えば狼が眠たげに遠吠えしているとき。熊が人間とじゃれついているとき。そういうときに、我々は胸の緩むのを感じる。では、実際に喰われそうになったら。牙や爪を剥き出して、素早く、ちかも力強く、けたたましい音を立てて襲い掛かるそのとき。我々は果たして、まだ愛せるであろうか。大方の人間には難しいであろう。それでも可愛いと思うのなら、それは自殺志願者か、狂人である。

つまり可愛いという感情が弱者へのものであるというのは矛盾しない。そして弱者とは、守るべき存在として認識される。自然において弱者とは喰らうべきものであろうが、人間は何もかも貪るわけでもない。例えば犬のように、パートナーたる弱者を保護対象として捉える。そして保護対象として認識している限りは、何をしても危害の加えられる恐れがなく、また弱者というフィルターの作用するために、許してしまう。これが、「可愛いは正義」の遠因なのではないであろうか。

 

まあ、そんなことはどうでもよくて、かわいいものはかわいい。大好きである。