2021.11.29
あと123日
なぜ、これほどまでに恋の香に囚われているのであろう。まるで犬のようではないか。
- 「べき」と「ない」には用心せよ
今日は長い文章を記す気力もないので、自戒を完結に述べる。表題の通りである。
人間は、多かれ少なかれ思い込みというものが存在する。言い換えれば、先入観である。そして、その先入観は、基本的に世界の色を大きく変えてしまう。簡単な例で言えば、恋バナの際に想定される関係性は異性愛である。当然、性的マイノリティーは存在している。それでも、男性ならば女性への、女性ならば男性への恋慕を相手に求める。それはそのようにしか世界が見えていないが故である。性的マイノリティーを認識しているものの、先入観として異性愛が当然であるという発想があるので、自然とそのような論になる。性的マイノリティーを日頃から意識しているような人間であれば、恋バナの初めからして変化が見られる。余談だが、現に私はそのような体験をしている。
それを自覚せずに、「〇〇をするべき」であったり、「〇〇であるべき」であったり、何か物事を「べき」で判断すると、先入観がそのまま世界に固定化されてしまう。他の選択肢があるかもしれないのに、その選択肢のほうが余程有益であるかもしれないのに、先入観、思い込みがそのまま自らの行動となってしまう。例えば、誰彼とはもう会わないべき、とか、自分は良い職業に付くべき、とか。
また、「〇〇に興味はない」であったり、「〇〇ではない」であったり、そういう「ない」文法も用いるのは好ましくない。事物の否定は自己暗示に繋がる。それはつまり、先入観の刷り込みにほかならない。柔軟性を失う。見えるものも見えなくなる。
先入観に縛られたいのであれば、それでも良い。しかし、豊かに生きたいのであれば、そういう自己暗示に用いられるような表現は避けるべきである。
さて、私はここで「べきである」と用いた。数行挟んで矛盾とは中々に面白い。
当然、これは矛盾を意図しているものでもない。しかし、あまりに疲れていて、どのような区別があるのか、説明することすら敵わない。
いや、今日のはマトモな構成にすらなっていないのが、読まずともわかる。今日のはあくまで思ったことを忘れないためのものとして、テーマに関しては後日整理して述べたい。