2021.11.30
あと122日
昨日の記事はあまりに酷い。どうしてこうも支離滅裂に物事を論ずることが出来るのであろうか。
簡潔に言えば、昨日のものは「思い込みは良くない」という大前提の下で、私の中で自己暗示に用いる表現として「べき」や「ない」などがよく見られるから注意しよう、ということである。それを長々と、意味もなく綴っている。私はこのように、疲れてしまうと何もかもが疎かになってしまう。情けない。
- 人生で最も大切なもの:金
人生、即ち生きる上で、最も大切なものは何か。金である。これは私の考え、私固有の価値観だと思っていない。確固たる事実として、生きるのに最も大切なものは金である。そう考える。
無論、ここでは「生きる」という大前提が存在する。それに縛られなければ、当然他のものが視野にも入ってこよう。しかし、仮に生きたいのであれば、最も大切なものは金である。
何故か。簡単である。金が無ければ生きることなど許されないから。そもそも生きるのには、最低でも衣食住が必要となる。そしてそれには、現代社会において確実に金が求められる。古代のような社会であれば、自給自足も可能であったろう。しかし、現代においてはそうではない。国家に属する限り、税金が発生する。多少の減免制度が在ったとしても、ゼロには出来ない。国家から逸脱する——つまり衣食住の正常な流通経路を放棄する——ならば話はまた変わってくるかもしれないが、その場合、生存の保証すら放棄することになる。それを選択するのは、生きるという大前提を否定することに繋がるであろう。
生きるのに、確実に金は付いて回る。金からの逸脱は許されない。故に、金は生きる上で欠かせないもの、最も大切なものである。
- 人生で最も尊重すべきもの:金
ここまでは恐らく、すべての人間が同意するものであろう。これを踏まえた上で、私固有の考えを述べる。人生において最も尊重すべきもの、最も重要視すべきものも、金である。何故か。
これについては明日述べたい。述べたいことはまとまっている。が、どうにも筆が進まない。表現が抽出されないのだ。豆が悪いのか、湯が悪いのか、温度が悪いのか。