まどどブログ

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2021.12.10(残112日) 怠惰に対峙する金言について

2021.12.10

あと112日

 

 枕である。恐らく、私の体調の殆どを決定しているのは、枕である。枕の具合によって、一日の様子は著しく左右される。特に、低反発枕と私との相性は極めて悪いらしい。首や肩への負担によって、血流が滞る。それによって、寝付きが恐ろしく悪くなっている。

 そんな簡単なことだったのだ。なぜ、今まで気づくこともなかったのであろう。

 

 あと、異様に疲れているときは後先考えずにチョコレートを頬張るのが良い。

 

  • 怠惰に対する金言

 私は極めて怠惰な男である。恐らく、何か他にすべきことが無ければ、一ヶ月横になって過ごしていても良い。しかし、現にそうすることが許されているわけでもない。残念ながら、無価値の人間は生きることを許されていないし、生きるべきですらない。故に、私はいつまでも怠惰であるわけにはいかない。価値を手に入れなければならないのだ。

 そこで、私は以下の金言を設定している。これが原動力、というわけでもないが、あくまで戒めとして、私の嘆きの具体化である。

 

  • この世の不利益はすべて当人の能力不足

 これは『東京喰種』という漫画の台詞である。漫画が金言。なんとまあ教養の乏しいことよ、など思わないこともないが、現に私が無知で幼いのは事実なので、分相応の金言である。

 これは文字通り、不利益は自身の責めに帰す、というものである。周囲のせいでも、環境のせいでもない。ただ、己の行為による。そう言いたいらしい。サハラに産み落とされた孤児についても同様のことが該当するかと言われれば甚だ疑問であるが、少なくとも先進国・日本に生まれ、成人を迎えた私にとって、これは事実であると考える。私の意思を直接的に妨げるものは何一つとして存在しないのだから。何を選択しようとも、それは私の勝手である。

 

 戦争とは他者を傷付け合う、愚かな行為である。しかし、それと同時に、人間という醜悪な生物の原動力でもある。肉体・精神ともに総動員するためか、その標語も極めて洗練されている。時間が足りない。資源が足りない。金が足りない。足りないのは工夫であろう。このような鋭い指摘を為している。

 無論、先の戦争のように、工夫では如何ともし難い結果というのは存在する。しかし、私のような怠惰な人間にとって、工夫でどうとでもなる部分というのは少なからず存在する。例えば、饂飩を煮たいとする。そのため、鍋を沸かす。この五分間。ただ鍋の前に突っ立って呆然としているか、それとも本を読むなり洗い物をするなり五分間で為すべきことを為すか。その五分間で進めたのが仮に四頁だとしても、一年を通せば一千四百六十頁にもなる。

 足らぬ足らぬは工夫が足らぬ。何かが足りないとき、工夫をまず優先して考えなければならない。

 

 強く覚えているのは、この二つだけであった。何か本からの引用でも持ってこようかと思ったものの、それは私の魂に深く染み込んでいない。それ故に忘れているのであろう。

 ところで、受験勉強というものを私は思い出した。受験勉強のとき、私は決して休日など設けておらず、ただ猛然と勉学に励んでいた。休日という概念は、それこそ労働の悪癖なのだ。

 どうせ避け難い飲み会などによって強制的に休まざるを得ないのだから、休日を設けてサボってはならない。