まどどブログ

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2021.12.14(残108日) 平安時代の「かたち」と栄養について

2021.12.14

あと108日

 

 なぜ、私はこの時間まで何もせずに居られた?

  • 古典において高貴な人物が総じて見栄えも良いと評価されている件について

 なろう系みたいな表題であるが、これは古典を読んでいる人間であれば、少なからず感じたことではなかろうか。皇族や上達部など、身分の高い人間は総じて見栄えも良いのである。きよらだとか、きよげだとか、あてなるとか、なんとか。誰も彼も、恐ろしいほどに高い評価を受けている。殿上人であれば、人次第。地下ともなれば、まず評価されない。平民など、論外である。むしろ醜いものとすら判断される。そんなはずあるか。ずっと思っている。

 これの殆どは、見せたい人間は身分も高いから、ということによって説明できよう。優れていて、さらに顔立ちも良い。現代においても、東大のイケメンが持て囃されるように、内面も外面も優れている人間ほど魅力的なものはない。その延長線であろう。何も不思議なことではない。

 ただ、私は今日、ふと、もしかして、事実として身分の高い人間はかたちが良く見えたのかもしれない、などと思い至った。

 栄養である。

 

  • 貴族の特権:栄養

 そもそも、形が良くあるには、栄養が不可欠である。栄養失調というのは、顔色など、外見にも大きく影響をもたらすと聞く。

 現代の我々は、大多数の人間がおよそ栄養に困らない生活を送っていると考えられる。故に、平民であろうとも、高貴であろうとも、外見にそれほどの差異は生じない。

 しかし、古代では異なる。古代の平民とは、基本的に飢えている。その反面、貴族は肥えている。富の不平等、富の一極集中によって、栄養はすべて貴族に集まり、貴族によって消費される。故に、身分の高くなればなるほど、栄養は満たされていく。それは外見にも表れる。

 無論、我々と彼らとの美に関する価値観とは大きく異なるであろう。現代では痩せ型が好まれるものの、古代にはふくよかであるほうが好まれたようだ。しかし、少なくとも私の読む限り、血色の良さであったり、髪の豊かさであったり、そういったところにゆかしさを感じるのは変わっていないように思える。そしてそれらは、栄養の所業であろう。

 故に、身分はそのまま、外見の評価に繋がる。そういう背景も、あったのかもしれない。

 

 などと、少しばかり思った次第である。正しいかどうかは知らない。これからの勉学に期待である。

 ちなみに、貴族であっても、食生活の偏りは酷いものであったらしい。栄養などという概念がないのだから仕方あるまい。