まどどブログ

普通の二十代前半男性が、夢を見るか、破滅するか。そんな人生ドキドキギャンブルの行く末を提供しています。

2021.12.22(残100日) 衣食住というコストについて

2021.12.22

あと100日

 

 もはや言うべきことはすべて言った。これが届くか否か、再び結節を持つか否かは、宿世次第である。

 私は契りを信じている。

 

  • 衣食住というコスト

 衣食住。人間としての生を営む上で欠かせない三要素である。これを土台にして、我々の人生というものは展開する。裏返せば、これ無くして我々は人間の形を保つことがない。

 そして、この三要素は、我々の限られたリソースを大いに消費する。家賃。光熱費。水道代。保険料。食費。服飾費。税金。その他諸々。例えすべての娯楽を切り捨てようとも、この三要素を維持するために大金を要する。つまり、人生における固定費なのだ、これらの勘定科目は。

 人間として存在するため。最低限の生を持つため。そんなくだらない理由のために、我々は魂を削って、労働に駆り出される。この三要素の費用を他に充てられれば、どれほど充実した生活を送れよう。それなのに。

 

  • 固定費は削減すべし

 さは言えど、これらをゼロにするのは現実的に不可能である。何故か。死んでしまうから。消滅させられないのならば、削減するのが望ましい。

 ここで肝要なのは、自身の効用のピークを見出すことである。贅を尽くすことに意味はない。しかし、例えば虫の湧くような部屋では、そもそも他の行為に支障をきたす。乾いたパンばかり食べていれば、倒れてしまうだろう。結果として、入院代やその期間の稼働を考えれば、損失になってしまう。

 これら衣食住は、バランスが欠かせない。これくらいなら満足できる。これくらいなら他の行為に干渉することもない。そういう、天秤の釣り合いを見つつ、費用を削減する。それが理想的である。

 

 だから何だ、って話だ。私はまだ疲れているらしい。