まどどブログ

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2021.12.24(残98日) クリスマス、そしてイヴェントの意義について

2021.12.24

あと98日

 

 世の中はクリスマス・イヴらしい。厳密には、クリスマス・イヴというのはクリスマス当日の夜を示すものであって、本日24日の夕刻以降を指すらしい。今知った。それでも、日本では24日全体をクリスマス・イヴと呼ぶ。

 最近は絵の練習をするに当たり、環境の都合上、大学への足は遠のいている。つまり、最近は殆ど外出らしい外出をしていない。故に、世情の移り変わりなど知る由もない。しかし、クリスマスの空気を味わうこともなく一年を終えるなど、考えられないことである。今日は怠惰な身体を鞭打って、街へと繰り出している。

 それにしても、クリスマスとは一体何であろうか。いや、当然、イエス・キリストの生誕祭だが、ここで言いたいのは日本の文脈における場所である。それについて、今一度議論したい。

 

  • クリスマスは「恋人と過ごす日」なのか?

 まず、我々の世代でよく聞かれるのは、これである。クリスマスと言えば、恋人と過ごす日。恋人のいない者は、クリぼっちと呼ばれる。クリぼっち同士で集まってクリパ、なんてものも催される。いや、何と懐かしい響き。今思えば、その時間で本でも読んだほうがよほど有意義なように思えるが、人間とはすべてがすべて有益となるように出来ていない。私にもこのように純粋無垢な季節もあったものだった。

 それはさておき、現状の私は、これについて懐疑的である。いや、これ自体を否定するわけではない。幸せな人間というものは目に善いから、否定するつもりもない。捻くれた人間とはわけが違うのである。

 余談だが、恋人のいないからと言って、その寂しさを妬みへと転嫁するのは、例え冗談であってもあまりに醜い。そもそも嫉妬というのは思った段階で恥じ入って慎む、ないし内に留めてエネルギーへと転換すべきであり、それを敢えて声帯へのエネルギーにしか費やさないなど、常軌を逸している。穢らわしい。心底軽蔑する。

 私がここで言いたいのは、過去との一貫性において、即ち幼少期から考えたところにおいて、クリスマスを表現する言葉は異なるのではないか、ということである。

 

  • 幼少期のクリスマスはどのようなものであったか?

 まず、我々は幼少期、クリスマスをどのようなものと位置付けていたであろうか。これを考えてみたい。

 まあ、多くの人間にとって、聖書に見られるキリストの御業のように、奇跡に満ち溢れた日々であったろう。「サンタ・クロオス」という正体不明の人物が、何故か自らのプレゼントを知っていて、夜半に届けてくれる。今考えれば、見知らぬ他人が家に忍び込んでいるという震えるような事実だが、当時はそんなことを考える余地もなく。そして、プレゼントのあとは、何故か特別な料理やケーキが用意され、何故か親は普段より優しく、何故か暖かく、一日を終える。とにかく、特別の連続であったはずだし、それが幼い我々から見れば、奇跡のように移ったはずである。

 つまり、クリスマスとは奇跡である。非日常の演出する奇跡。これが、我々のクリスマスという意識の根底には存在するはずである。

 

  • 大人になっても奇跡であるべき

 翻って考えてみよう。恋人と過ごす日々。それも良いであろう。確かに、それも非日常であるかもしれない。また、街はすっかり化粧を終え、非日常の演出には余念がない。奇跡を体感するには十分なはずである。

 しかし。SNSでこんな言説を見かけた。「クリスマスは大人になったら単なる平日になる」。それは間違っている。決して、単なる平日・単なる休日であってはならない。徹底した非日常でなければ、徹底した奇跡でなければ、それはもはやクリスマスではない。恋人と過ごす中でも、それが単なるデートでは、クリスマスを楽しんでいるとは言えない。

 それは何も、我々世代の風潮に限った話ではない。家族と過ごす日々。一人で過ごす日々。何でも良い。とにかく、奇跡でなければ。折角、イエス・キリストの生誕祭である。我々もまた、小さな奇跡を起こしても良いのではなかろうか。

 

  • イヴェント全般は非日常である

 クリスマスは特にわかりやすい例だが、非日常という点では、どのイヴェントにも共通している。年越しであったり、夏の花火であったり、秋の紅葉であったり、とにかく何でも良い。私はヴァレンタイン・デーや誕生日など、イヴェントらしいイヴェントとはかなり縁遠い生活を送っていたので、それらについて良く知らないが、親しみのある人であれば、それもよいであろう。イヴェントとは、非日常でなければならない。単なる休日として過ごしてはならない。何か決めて、徹底して非日常として過ごさなければならない。

 そうでなければ、イヴェントは一年から失われる。イヴェントは透明になる。イヴェントは我々の身体から離れていく。そして、我々の心はやがて、平坦な日々に耐えられず、死んでいく。

 

 俺にも奇跡の一つや二つ、起こらねえかな。