まどどブログ

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2021.12.26(残96日) 男たることについて

2021.12.26

あと96日

 

 起きてからの一時間がその日を左右するのだ、ということに気付いてしまった。

 起床後、速やかに準備に取り掛かって、一時間で既に覚醒状態に在れば、その日は良い日になる。一方、いつまでも布団から出られず、一時間後にそのような状況へと移行していない場合は、怠惰な一日となってしまう。

 これではいけない。これを肝に銘じなければ。

 

  • 「男たる」には

 さて、私はクリスマスの誓いとして、「女々しく在るな、男たれ」というものを設けた。意味は文字通りである。

 しかし、ここで「男たれ」とは一体どのような言動を指すのか、これを定義しておかなければ、私はまた女々しくなってしまうであろう。そして、女々しさは私の活力を奪う。それはつまり、私の作品がこの世から失われる。それは世界にとって損失である。故に、私は男でなければならない。

 今日は、今一度、これについて整理しておきたい。

 

  • 男性の役割とは何か?

 そもそも、男とは一体何であろう。男とは、どのような状態が自然なのであろうか。原初に立ち返って、考えてみたい。

 原始、男は狩人であった。農耕という高度な文明が発達していない頃、我々は狩人であった。大きいにせよ、小さいにせよ、動物を狩り、肉を得る。それは何のためか。同族のためである。同族を存続させるために、我々は動物を狩っていた。

 そして、動物に勝つには、強くなければならない。死に瀕することもあったろう。それでも、仲間のため、我々は強く、立ち向かわなければならない。逃げることなど許されない。例え虚勢でも、強く。

 つまり、我々は原始、仲間を想い、強く在るべき存在であった。男とは、根幹にそのようなものが在ったであろう。

 

 ここで補足しておきたいのは、決して女性について触れていないことである。女性がどうであろうとも、私には関係ない。私は男として生まれ、性自認もまた男なので、男の在り方について論じているまで。

 

  • 桜島のように動ぜず、快活に

 桜島をご存じであろうか。鹿児島に座する活火山である。そして、よく噴火する。鹿児島には縁遠いものの、県人にとってはもはや日常茶飯事のように思われているようである。私は、男の在るべき姿として、桜島を見出した。

 前述したように、男とは、強くなければならない。では、強さとは何か。強さとはどのような部分から来るか。それは精神である。肉体も無論、重要である。しかし、いくら肉付きが良かろうとも、それを駆使する精神が弱くては、お話にならない。最近の若人は概ねそのような者である。それでは、向かってくる動物を殺すことなど出来やしない。精神である。心が強くなければならない。

 そして、強い精神に求められるのは、奔放と、冷厳である。普段は快活に、激しく、楽しく。しかし、どのようなことがあろうとも、動ぜず、平静を保ち、理性的に状況を分析し、的確な判断を下す。これが強さである。何故か。どのような大物を前にしようとも、陽気に、かつ落ち着いて向き合わなければ、それを狩り殺すことなど出来ないから。人間とはか弱いのである。そのか弱さを、無邪気さと理性で補う。男とは、豪傑と理性を伴ってこそ、真に強い者で居られる。故に、強く在るには、桜島のように、快活でありながら、決して動ぜず、どっしりと構えていなければならない。阿蘇山や富士山のようではいけない。彼らは荘厳に過ぎるから。

 

  • 桜島に必要な心構えは?

 では、このように豪傑と理性、奔放と冷厳を保つには、何が必要か。それは、「雄々しくある」という自覚と行動である。

 人間は、すぐに忘れてしまう。どのように述べようとも、忘れて仕舞えば、直ぐに本性に戻ってしまうであろう。そうしないように、雄々しくあることを常に自覚する。そして、それを軸に行動する。なんでも良い。例えば声を大きくするであったり、身体を鍛えるであったり、よく笑うであったり、豪快に呑むであったり。それは人によるであろう。とにかく、奔放であり、冷厳であることを意識する。そのようにすれば、自ずと、男は男としての光を増すのではなかろうか。

 

 ちなみに、なぜ男たらねばならないのか、という疑問については、このように答える。それが美しい生き方であると、私は思うから。あとは、恋患いにもはや辟易してしまったから。

 

2021.12.28追記

 細かな動作を述べれば、以下の通り。

 涙を見せるな。弱さを見せるな。あと何か、一つ。