まどどブログ

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2021.12.29(残93日) 酒と煙草について

2021.12.29

あと93日

 

 私はどうにもドイツ車の名前を覚えるのが苦手である。A4とか、Z4とか、Cなんちゃらとか、記号と番号だけでは、そもそも覚えようという気すら起こらない。確かに、記号によって階級を、番号によって種別を示せば、それを聞いただけでどのようなクルマか直ぐに識別できるという意味で、極めて合理的ではある。しかし、それでは、愛が足りない。モノとは、愛着を付加してこそ初めて尊重されるものである。そして、愛着の根源とは、名前である。

 ドイツ車にはそれがない。いや、少なくとも、私には感じられない。故に、あまり覚えられない。残念である。魅力的なクルマは多いものだが。

 

  • 酒と煙草:数少ない希望

 酒と煙草。法律上は二十歳に解禁される、大人の嗜みの象徴として誰しも疑わないのが、この二つであろう。果たして律儀に二十歳の解禁を待っている人間がどれほど日本に居るのか、それは疑わしいものの、とにかく、この二つを初めて手にしたとき、成長を感じたことではなかろうか。そして、多くの人間は、多少の差はあれども、末永く愛し続ける。

 さて、この酒と煙草。詰まるところ、我々はなぜ、これらを愛しているのか。恐らく答えは単純で、成人に残された数少ない刺激の一つだから、であろう。幼少期にあれほど輝いていた世界はどこへやら、鈍色の光景が我々には広がっている。そんな世界であるから、刺激というのも当然少ない。その中で、酒と煙草は、我々の身体そのものに作用して、この世界をきらびやかに見せようとする。そして、我々はそれを楽しむ。

 それに囚われてしまう人間の少なからず在ることも、また事実である。

 

  • 理性の付き合いを

 中毒に陥ること。それは個々の自由であろう。しかし、私はそれを感心できることだと思わない。何故か。それは人間として愚かである。何度も言うように、私は理性からの離脱を人間として最悪の行いだと考える。酒と煙草によって理性を侵されるなど、醜い行為に他ならない。我々は、理性によって、万物を支配しなければならない。酒も煙草も、当然のように理性によってコントロールされる。物体に過ぎないのだから。故に、その範疇で楽しむのが当然の行為である。

 では、どのように触れ合うのが良いか。私が思うに、酒も煙草も、その効果を理性によって認識できる、そのくらいの距離感が良い。例えばアルコールを入れ、なんとなく気分が浮ついてきたとする。そのときに、「ああ、私はこの程度のアルコールを摂取したので、いまこの状態に陥っているのだ」というふうに、理性的に分析する。煙草も然り。煙草によって我々の感情は望む方向へと進む。それが何故か、認識する。その程度が良いであろう。それ以上は、人間らしいと言えない。

 そして、意味もなく求めてはならない。なんとなく飲もう、なんとなく吸おう。それは理性の所業ではない。何故、いま私がこれを求めているのか、考える。寂寞を飛ばしたいのか、晴朗を得たいのか、それとも何か。それを考える。

 酒と煙草は水ではないし、肉でもない。彼らは人間そのもののようで、我々を高くしておきつつも、理性、ひいては人格そのものを奪い去る可能性もある。人間に対するように、この程度は用心しなければならない。

 

 それにしても、私はこれらに対して、生得的に依存度が低いようである。そもそもアルコールの味が苦手であるし、煙草もむせてしまう。それに、何をどう考えようとも、ジンジャーエールのほうが百倍美味い。人を狂わせるらしいが、私には理解できない。いや、神に感謝である。