まどどブログ

普通の男子大学生が、有名作家になるか、破滅するか。そんな人生ドキドキギャンブルの行く末を提供しています。

2021.12.30(残92日) 朗読会について・二次創作について

2021.12.30

あと92日

 

 朗読会とは、一体何のためにあるのだろうか。本を読んで、それについて感想を言い合う。いったい、それに何の価値があるというのか。私にはいっさいわからない。

 例えば、源氏物語について、ここはあの作品のオマージュであるだとか、後世のあの作品に類似した展開が見られるだとか、そういう自身の知見を拡張するようなものであったならば、理解も示せよう。あるいは、その題材を軸に、何かの事象について、己の教養を総動員して議論を深めるといった趣旨であれば、それもまた趣深いものである。

 そういうものではないらしい。ただ本を読んで、それについて思ったことを話して、終わり。「ここの部分は良かったです。私はこういう経験をしていて、それを重ね合わせるものでした。」などと、小学生のようなことを話して、何を得られるというのであろうか。いや、その経験が、例えば「総理大臣を務める中で〜〜」とか、「屋上から飛び降りて〜〜」だとか、そういう有り難い経験であれば、確かに傾聴に値する。しかし、「就活が」とか「鬱が」とか、そんな誰でも言えそうな経験を話されても、いやそれどころか、自分である程度妄想できそうなことを言われても、もはや困惑に尽きる。以前も述べたように、代替可能なものは無価値である。無価値なもののために朗読会は開催されるのであろうか?

 そもそも、本とは、それそのものとの対話が肝要なのである。御冷ミァハに言わせれば、「孤独の持久力」なのだ、本の持つものとは。そんな長所を、他者と読み合わせることによってかなぐり捨てて、それでいて、何を得るわけでもない。

 怖い。もはや、わからないだけでなく、怖い。子供の頃、オバケに震えていた夜のような怖さである。何を目的にして、朗読会というものは企画されているのか。それがあまりに超常的で、怖いのである。

 誰か知っていたら教えてほしい。

 

  • 二次創作は原作に立つか?

 慄然のあまり、ふと思い出したのだが、私は二次創作が苦手である。嫌いなのではなく、苦手なのである。

 無論、イラストなど、単体であれば、さして問題もない。気に掛かってしまうのは、ストーリーを持ったそれである。そう、気に掛かってしまうのだ。ストーリーにおいて、原作との矛盾が感じられるのが。

 私の中で絶対的な主義として存在するのが、二次創作は原作に立たなければならない、というものである。二次創作とは、原作の世界を借りて成り立っている。故に、原作の世界を忠実に反映させなければならない。登場人物の関係性、感情、口ぶり、知性、それらは原作と齟齬なきようにしなければならない。もはや原作への畏怖、と言っても良いであろうか。それを感じられない、つまり作者個人の世界が強く臭うようなものは、苦手である。乖離に気を取られてしまう。

 裏を返せば、しっかり原作への崇敬を感じられるようなものであれば、私とて好ましく思う。悲劇であっても、恋愛譚であっても、また狂気に溢れていても、肝心なのはそれである。原作に立ってさえいれば、二次創作でも輝く。しかし、原作を踏みにじるようなものに、少なくとも私は、深く入り込むことができない。

 

 ところで、今日はじめて類語辞典の正しい使い方を知った。あれ、「怖」とか「多様性」とか大きな枠があって、その中で必要な言葉を選んでね、というスタンスだったのか。