まどどブログ

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2022.01.02(残89日) 理系科目への忌避について

2022.01.02

あと89日

 

 夜まで男々しくあると、どうにも興奮してしまって眠りの浅くなることを知った。夜は女々しくても良いらしい。

 そもそも夜はそういうものなのかもしれない。

 

  • 理系科目への苦手意識

 私は理系ではない。文系である。理系科目がどうにも苦手であったのだ。数学。物理。化学。それらがどうしても苦手であった。成績など、最初から最後まで、目も当てられないほどであった。一方で、文系科目は得意であった。特に、古文、漢文、日本史。これらについては、もはや成績の良いのが当然といったふうで、何か歯向かってくるものがあるわけでもなく、高校生活を終えた。

 それが何故か。当時は純粋であったので、そのようなことを考えることもなく、ただ私の得手不得手がそういうものである、と、諦めていたのだった。そして大学に入って以降は、そもそも勉学から離れていたし、せめて趣味として戯れる程度であったので、そのことすら忘れていた。しかし、先日、訳あってニュートンの粘性法則に触れる機会があった。

 それについてただ調べていくうちに、私は高校時代のあの感覚を抱いていることに気付いた。そして、唐突に理解したのだ。私がなぜ、理系を苦手としていたのか。

 理系科目に見られる法則の類はすべて——少なくとも高校の段階において——根源を曖昧にされているから。

 

  • 「理系科目」に不足する根源

 何度も言っているように、私は「根源」を尊重する。何故そのようになるのか。何がそうさせるのか。それがたった一言で、一つの単語で説明されるまで、分解されることを好む。恐らく父の教育のせいであろう、それは昔とて何も変わっていない。気になってしまうのだ、何故なのか。

 そして、理系科目の法則というものは、それに殆ど答えないものばかりであった。「このようになるからこういう法則が成り立つ」という、一種のトートロジーがまかり通っている世界であった。自力で調べたりもした。それでも、同様であった。どれほど調べようとも、最終的に、「そうなるから」という結論が待っていた。

 それで終われば良い。私の悪癖は、根源を明かさぬまま自身に組み込むことが許されないところにある。なぜ、が不明であると、私は混乱に陥ってしまうのだ。覚えられない。使えない。わからない。何をどうしようとも、私はそのようになってしまう。

 そして成績は悪化していく。理論はさらに複雑になっていく。

 その点で、古文も漢文も日本史も気が楽であった。書いてあること以上の情報は存在しないから。

 

  • 矛盾ですけど

 いま思えば、自然科学の領域で根源を求めることなど、無謀と言わざるを得ない。その根源は、恐らく古代オリエントにまで遡る。先を行く科学者とて、それを知るはずもあるまい。一介の高校生なんて、なおさら。

 それに、詭弁なのかもしれない。私はペアノの公理について、堂々と語る資格のある人間であろうか。否、である。それなのに、自然数を使用している。矛盾にすら思える。きっと、私の手から離れたものに難癖を付けているだけなのであろう。

 それでも、この事実に変わりはない。私は「なぜ」を狂ったように調べて、「そうなるから」という回答を得て、釈然としないまま、成績は下降する。その繰り返しによって、私は理系から、そして自然科学から離れた。そういうことである。

 

 ちなみに、芸術系については、真剣に取り組んだことがないまま終えてしまった。恥ずかしかったのだ。自分を見せるのが。