まどどブログ

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2022.01.07(残84日) 暴力について①/人間の支配者について

2022.01.07

あと84日

 

 恋患いというものは期間限定商品で、二日もすれば飽きてしまう。あっこれどうでもいいな、そう思う瞬間が、いずれ訪れる。

 そもそも、恋患いなどというものは非合理の申し子である。叶うはずもない恋に苦しみ、活動量すら減少させるというのは、愚劣にも程がある。つまり甘えなのだ。何もしたくない、その隠れ蓑として恋を利用しているに過ぎない。

 それではいけない。

 

  • 人間を支配するものは何か?

 我々は多かれ少なかれ、その活動を制限されている。例えば法律。法律によって、我々の意思は明らかに縛られている。対価なしに商品を保有すれば窃盗罪に当たるし、同意なしに性行為を執り行なえば強制性交等罪に当たるし、人を殺めれば殺人罪に当たる。

 これは何も法律に限った話ではない。例えば町内会。新参者は、お偉い方に逆らうことが出来ない。例えば企業。人事の意向は基本的に絶対である。いじめもその一例である。何か絶対的な条文があるわけでもないのに、下位たる者は上位たる者に従う他ない。我々は、何かしらによって制限され、支配されている。

 私はずっと疑問だった。

 例えば、独裁者。独裁者とて、一人の人間である。人間は脆い。刺し殺して仕舞えば済む話である。刺し殺さずとも、自動車で突撃すれば、簡単に頭と胴体が切り離されることであろう。殺さずとも、例えば他の者で結託して引き摺り下ろすことも可能である。独裁者とて、弱い人間なのだから。

 例えば、町内会。そもそも踏ん反り返っているような人間というものは概して頭が弱い。新参者で結集して会合をひっくり返して仕舞えば、簡単に敗れ去るであろう。

 例えば、いじめ。インターネットというものがあるのだから、それで散々喚き立てて仕舞えば、少なくとも関係者は社会的な死を迎える。また、そもそも全員がいじめに主体的な役割を担っているわけではないのだから、いじめっ子を皆で殴れば、すべて解決しそうである。

 例えば、法。あれはそもそも、単なる文字列である。皆で放棄すれば、あっけなく崩れ去る。

 しかし、誰もそのようにしない。何故か。

 それは、人間がすべて、暴力に追従しているから。

 

  • 暴力:大多数の重さ

 ここでの暴力とは、サシで行われる決闘における力ではないし、物理的な戦力のことを意味しているわけでもない。大多数によって差し向けられる、圧倒的な力の差のことを指す。

 何故、法は守られるのであろうか。暴力である。法を守らない者は警察によって取り締まりを受ける。それに、そもそも違法行為を働くということが——程度の差はあれど——社会から冷たい視線を浴びせられる要因でもある。それはすべて暴力である。

 何故、いじめは成立するのであろうか。暴力である。無視。落書き。恥辱。最初お遊び程度であった暴力は、快楽を伴ってエスカレートし、恒常的な事象になり、教師も素通りするようになり、もはや覆すことなど出来ない事実へと変化する。インターネットで告発などしようものなら、その暴力はより激しさを増すであろう。であれば、現状維持を望むほかない。あるいは、すべてからの逃避行か。静観している者も同様である。その暴力が自身へと向かわないよう、温かく見守る。

 何故、町内会のお偉い方はいつまでも「お偉い方」なのであろうか。暴力である。生活している以上、集合住宅でもない限り、そこには必ず関係性が発生する。その関係性を存分に行使する。例えば、その家の子供と遊ばせない。ゴミを玄関に差し戻す。郵便受けにゴミを投入する。落書きを加える。酷い場合には、クルマに危害を加える。自身に従わないものを徐々に締め上げる。そうして、自身の優越性を守る。それが日常になれば、新参者はその回避を第一に考えるであろう。下手に反乱など起こして失敗したら、そのリスクは小さくない。

 何故、独裁者は独裁者たり得るのであろうか。暴力である。何も軍や憲兵など、明らかな暴力装置に限った話ではない。例えば独裁者への崇拝。独裁者に対して少しでも批判的な評価を下せば、すぐさま社会的な死を与えるような世論にして仕舞えば良い。それとて立派な暴力である。あらゆる局面において暴力を構築することによって、独裁者は自らの富と名声を高め続ける。

 暴力である。徳であったり、富であったり、地位であったり。そんなものではない。厳密には、それそのものではない。すべて暴力である。人間は暴力にのみ従う。

 これに反例は存在しない。と、現時点では考える。先生の言うことに従うのは、先生が学校というコミュニティーにおける権力者であるから。従わない生徒には、権力を存分に活かして成績でも下げれば良い。親に従うのは、親が衣食住を握っているから。子供が言うことを聞かなければ、食事の提供を停止すれば良い。

 そして暴力の存在しないところに、服従など有り得ない。恋仲や友人関係などはわかりやすい。いとも容易く別れてしまう。

 

 しかし、暴力とはその実、砂上の楼閣でもある。

 それについては後日述べたい。