2022.01.09
あと82日
私のスイッチがようやく判明した。ヘッドフォンであったのだ。ヘッドフォンを通して音楽に触れることによって、私のやる気スイッチはオンになる。やる気スイッチを、コロナになってから二年間、やっと見つけたのだ。
恐らく、これには私の古くからの習慣が関係している。十年ほど前から、勉強にさしあたってはヘッドフォンを必ず装着していた。最近はイヤフォンとスピーカーとを導入したので絶えていたものの、この感覚が残っているのであろう。ヘッドフォンを耳にあてがって、音楽を聴く。それがきっと、活動の合図なのだ。
- 無くとも死なないものは、無くとも良い
今日はもう眠いので、完結に示したい。
昨日は「恋が嗜好品である」ということについて述べた。一日私は考えた。また天啓を得た。無くとも死なないものは、無くとも良い。
無くとも死なないもの。何でも良い。例えばゲーム機。例えば自動車。例えばぬいぐるみ。例えば釣り竿。例えばテレビ。例えばブランド品。例えば上司。例えば部下。例えば同期。例えば友人。例えば恋人。例えば家族。何でも良い。無くとも死なないもの。それはすべて嗜好品である。嗜好品は無くとも死なない。死なないのであれば、無くとも良い。これらは生活を豊かにする。しかし、無くとも死なない。であれば、必死に保持する必要などない。無くとも良い。
何故か。死なないから。死というデフォルトを逃れるのであれば、もはやどうでもいい。すべてがプラスなのだ。
これは何も、まるで中学生のように、己が如何に非情であるか語り、誇る、というものではない。単に、人生を気楽に生きる標語である。我々は多かれ少なかれ、視えない鎖に囚われて生きている。その束縛を少しでも緩和するための文言である。
私とて、家族も友人も不必要などと思っていない。様々な観点から欠かせない存在とも言えよう。が、同時に私は真面目に過ぎる。何もかも背負ってしまう。
神仏はその誤りを正した。あくまで、その記録である。
- 絶対に必要なものは何か
では、翻って、無ければ死んでしまうものは何か。衣食住と医療と芸術である。それを維持するのは何か。金である。畢竟、生きるのに必須なものは、金である。
金が、少なくともこの資本主義社会において唯一の必需品である。金は大切にしていかなければならない。