まどどブログ

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2022.01.12(残79日) 暴力について② / 自由としての暴力について

2022.01.12

あと79日

 

 人間無理をすると必ず反動が出るように出来ているもののようで、とてもつらい。眠い。寝たい。

 しかしいまここで寝てしまうと生活リズムの崩壊が待っている。故に許されない。なんと。

 

  • 人間は暴力にのみ追随し、暴力は繊細である:おさらい

 数日前によくわからない記事を作成してしまった。それは忘れてほしい。議論が発散している。ここでは、改めてこのテーマについて簡潔にまとめたい。

 人間は自由ではない。そして、人間は暴力にのみ追随する。法を遵守するのは、警察の捕縛を恐れるから。いじめられっ子がいじめを受け続けるのは、それを拒んだときの状況を恐れるから。町内会の重鎮を尊重するのは、そうしないことによる報復が恐れるから。独裁者を独裁者たらしめているのは、それに抗うことによるあらゆる攻撃を恐れるから。親の言うことを聞くのは、衣食住の没収を恐れるから。恐れ。我々を恐れさせるもの。それが暴力である。

 そして、暴力とは繊細なものでもある。独裁者であれば分かりやすいか。あまりに締め付けを強化し、かつ監視の目を少しでも緩めると、反乱を許す可能性がある。すべてについて論ずることはしないものの、暴力は簡単に崩壊してしまう。政体の交代も、暴力の維持に失敗したが故であろう。

 

  • 真に自由であるには

 では、人間が真に自由であるには、即ち暴力の支配を逃れるには、どうすればよいか。自身も暴力を手に入れれば良い。

 どのような暴力が望ましいか。自分そのものが強くなることも良い手段であろう。しかし、それでは大多数の暴力に敵わない。いじめを想像してほしい。仮に自身が強かろうとも、身体を縛られて仕舞えばその時点で負である。ある程度の塊をもったそれでなければ、自由は獲得できない。では、どうすれば。

 私兵である。貴族が随身を持つのは何故か。自身の安全を確保するためである。それを国家単位まで膨らませることによって、警察や軍というものは発生したのであろう。

 しかし、私兵とて、人間である。人間は裏切る。暴力の繊細さは、私兵においても変わりない。では、どのような私兵が最も良いか。ロボットである。自我を持たぬ、思考せぬ、しかし精度の高い暴力であれば、暴力さは無欠なものへと変化を遂げる。

 

  • 何が言いたいの?

 そもそも、何故私はこのようなことを考えるに至ったか。それは、筋を通すにはどうすればよいのか、そんなことを思ったがためである。

 前提として、私は男である以上、理由もなしに考えを曲げることは許されないと考える。美しいから。その美を、私は貫かんと思う。

 一方で、私の信念からかけ離れた人間がいたとする。上司としようか。それそのものに対して、納得が行かない、お前の言っていることはこのようにおかしい、そう筋を通すのは容易い。相手とて弱い人間なのだから。それそのものに対してであれば、恐れることなど何もない。しかし、上司は暴力を持つので、結果として私は不利な境遇に立たされる。それを考えたとき、私は美の放棄を迫られるのではなかろうか。では、筋を通すには、どのようにすればよいか。その結論として、自我を持たない私兵が浮かび上がった、というわけだ。

 ああ、自我を持たない私兵が欲しい。何も国家転覆を願っているわけではない。私はただ、自分の見える範囲内だけでも美しく整えたいだけなのだ。私は私の感じ得ないことに興味がない。見えないから。見たくもない。ただ知覚するものは美しく在ってほしい。それだけなのである。周囲の人間を払う程度であれば、所持も許されないであろうか。