まどどブログ

普通の男子大学生が、有名作家になるか、破滅するか。そんな人生ドキドキギャンブルの行く末を提供しています。

2022.01.15(残76日)

2022.01.15

あと76日

 

 自らを律すること。自ら立つこと。これらを同じ「じりつ」と呼ぶらしい。耳が痛い。

 それにしても、この二日間はひたすら穢れを蓄積してしまった。良くない。村上春樹の言葉であったか。悪い作品は悪い影響をもたらすので、良い作品だけを観るように心がける。その通りである。穢れは祓わなければ。

 

 それにしても、ここ数日は体調が極めて悪い。恐らく肉体の局面で私の活動を妨げている。表現とて、陳腐なものを吐き出すに留まっている。なぜだろう。運動していないからか。

 

  • 二十二歳だから何だ

 つらつら書いてはすべて消す。そんなことを繰り返し続けたテーマがある。もう長々しく記すのも飽きたので、簡潔に、かつ私的に、残してしまいたい。

 私は二十二歳である。二十二歳。もはや社会に放たれん、そういう時期である。それでいて、多くにおいて他者に劣っている。特に絵は悲惨である。小学生のようなものを産み落とす。それでも、絵に興味を持った。

 実は逡巡していたのだ。描くか描くまいか。いや、厳密には、決心の付かない日々を送っていた。どうせ今更描いたところで、何になろう。同年代で優れた者は多くいる。私の絵は醜いに決まっている。醜いものを私の許すはずもない。まだ文のほうが慣れ親しんでいる。文のほうがまだ楽しい。などなど。

 馬鹿らしい。要は恥じていたのだ。この年齢になって、マトモな絵が描けないことを。それは馬鹿の発想である。年齡など、多くの場面において人間の設定した概念に過ぎない。特に趣味の領域など。手を出さない限り、いつでも零歳である。二十二歳ではない。いつでもスタートラインなのである。

 そもそも、何故周囲と比較するのか。それこそ傲慢である。他者への介入である。趣味など所詮は己のためのものなのだから、何も恥じることなどない。

 恥じるのは馬鹿である。それだけ。

 

 私は囚われる男なのだ。反省せねば。