2022.01.21
あと70日
今日は久々に何も生産すること無く過ごした。ああ、なんと甘美な時であることか。誰に邪魔されることもなく、何をすることもなく、ただ赴くままに過ぎていく。
願わくば、永久にこの至福が続いていってくれれば良いと思う。そう、文字通り永遠に。死ぬこともなく、悠久に。終わりがあるから幸せ。有り得ない。幸いはずっと幸いであるほうが良いに決まっている。
- カレーとシチュー
カレーとシチュー。具材を殆ど同じくしながら、ルーによってその味も性質も大きく異なってしまう、そんな兄弟のような料理であると、私は認識している。そして言うまでもなく、カレーの翼を持つ。なんだ、シチューとは。
カレーは日本の国民食である。まず味が良い。スパイスが効いていながらも味に深みを持つ。具材にも気配りを怠らない。人参やジャガイモの持つほのかな甘みを、その辛さによって見事に包み込み、弾けるような旨味をもたらす。それに白米との相性も震えるほどに優れている。白米の淡白さ、そして甘さと見事に絡み合う。素晴らしい。それだけではない。カレーは人々の思い出とも深く結びついている。その調理方法が集団向きだからであろうか、何故か学校のイベントにおいて最も愛されている料理もカレーである。おせちでもカキフライでも何でも良さそうなものであるのに、飯盒炊爨と言えばカレーである。そのプロパガンダ——当然、善のプロパガンダである——によって、カレーは味のみならず、記憶としても我々の優位に立つ。そしてカレーは愛される。故に国民食なのだ。
かたや、シチューは何か。重い。白米の甘さと牛乳の甘さ、そして野菜の甘さ。とにかく甘い。甘すぎる。何も甘い料理が悪いと言っているのではない。あれには脂質も加わっている。とにかく体重を重くする。塩気によって誤魔化そうとしたところで、内臓は正直である。無論、美味である。美味ではあるが、白米を崇めるような日本人にとって、少なくとも整合の取れた料理とは言えない。さらに、シチューはあのカレーの弟でもある。ルーの他に、大きな差異はないのだ。当然、カレーと比較される。あのカレーである。和食すらも脅かすほどの存在。優秀な兄を前にして、シチューは宜もなく敗れ去る。
故に私はカレーを愛する。素地には必ずカレールーを投下したい。
ちなみに、シチューはパンと食すのが良い。しかし、私は白米が好きなのだ。
内容の稚拙さ、というより虚無そのものであることについては、勘弁願いたい。今日はこういう日なのだ。