まどどブログ

普通の男子大学生が、有名作家になるか、破滅するか。そんな人生ドキドキギャンブルの行く末を提供しています。

2022.01.23(残68日) 「私」について

2022.01.23

あと68日

 

 ついこの間まで80日は残存していたような気もするのだが、いや、なんと恐ろしい。ああ、もうそんな時期か。

 

  • 私に関する分析

 私は他者に興味がないのだと思っていた。それは正確な解ではなかった。私はすべてに興味が乏しい。私に対しても同様に。自己分析とやらである程度己の性分について理解したつもりではあったものの、いやはや、甘い。私は中々なるさまに自身に理想像を押し付けるような癖があって、それで望ましい人物像を映し出していたのだ。

 今日は今一度、自身について考え直したい。幸い、私は鏡を持つ。それによって仔細に分解することが出来る。

 以下では、上から順に支配階層になっている。上に来ているものが、下に来ているものを優越する。

 

  • コンプレックスの塊

 あらゆるものの土台として、コンプレックスを避けては通れない。私はコンプレックスの塊である。社会を満足に生きられないこと。資産を持たぬこと。友情に希薄なこと。学歴。頭脳。体力。愛。とかく、あらゆることにコンプレックスを抱く。そして、その故に嫉妬と軽蔑を抱く。自身の立ち位置を相対的なものに成らしめ、優れた——自身に無いものを持つ——者に対しては嫉妬を、劣っている——自身に足りているものを持たぬ——者に対しては強い軽蔑を、それぞれ覚える。

 では、コンプレックスの根幹は何か。それを特定するのは難しい。家庭環境に致命的な問題があったとは思わないし、トラウマと言えども、些細なものである。あるいは、遺伝的なものと言っても良いかもしれない。生得的に強欲なのであろう。すべてが欲しい。それは現実的でない。故にコンプレックスを抱く。全知全能でありたいのかも。

 なお、そのコンプレックスが故に、他者に敗北することを良しとしない。少なくとも快いものではない。どのような場面においても、確実に己が優位で無ければ気が済まない。

 そして、そのコンプレックスが故に、執念や憎悪など、いわゆる負の感情は大きく増幅される。ちなみに、軽蔑の念も際立って強いので、皮肉は得意である。

 

  • 快楽の申し子

 快楽を何よりも好むし、快楽に愛されている。楽しいことには精力的に取り組むし、処理も速やかである。裏を返して言えば、楽しくないものはしない。無理に取り掛かれば、処理能力は明確に落ちる。

 そして、「快楽」と認識するものは日によって変化する。ある日はランニングだし、ある日は掃除だし、ある日は睡眠である。そして、それを決定するのは主に睡眠時間と天候である。ちなみに、睡眠の短い状態で太陽光を浴びると萎びてしまう。

 ただ、一貫して快楽として認識しているものは、「非日常」である。日常ならざるもの。それがどのような形態を持っていようとも、私の心は活気づく。

 なお、死への恐怖は快楽を愛するが故の現象である。死は快楽の終焉である。故に恐ろしい。

 

  • 合理ぶる

 これは鏡に見られない要素である。合理を愛する。愛しているだけであって、決して理路整然としているわけでもないが、少なくとも理屈っぽさが滲み出ている。それ故に、感情に左右されにくい。が、コンプレックスに支配されている以上、他者に対する優越性を脅かされる場合はこの限りではない。

 ちなみに、これ故に、人間関係に代表されるおよそ合理から離れているものを好まない。馴れ合いや駆け引きなど、愚かしい限りである。すべて直接的に表現し、互いの思惑を明示した上で解決策を見出すほうが、より迅速な決定に繋がってよほど効率的である。人間関係や恋なども同様に。

 良く言えば、迅速な意思決定を好む。悪く言えば、短気である。

 

  • 寂しがり屋

 これも鏡には見られない。コンプレックスが派生したのか、私は寂しがり屋である。一人で居ることが合理的であるし、コンプレックスの解消点としては優れているものの、それはそうとして寂しい。これ故に、私は他者を完全に突き放すことが出来ない。己の情けなさに嫌気の差す毎日であった。まあそれはそれで合理的だろうか。

 そして、この不合理が時として誤った判断を下す。むしろ以前はこれが優越していたものである。今はどうだか。

 

 このようであろうか。また何か思いついたら更新したい。

 私の名誉のために言っておくが、これらをすべて露骨にして生きているわけではない。そのような人間が一般的な社会生活を送れるはずなかろう。ただ、自己の潜在的な部分を見つめたときにこれらが浮かび上がってきた。それだけに過ぎない。