2022.01.27
あと64日
64と云えば8の平方数である。いや、つい先日まで15の平方数では無かったか。世というものは無常である。
- 合理的Apple崇拝
デヴァイスと云えばAppleである。MacBookしかり、iPhoneしかり、iPadしかり、そのような日常的に用いるハードウェアに関して、私はAppleを好んで用いる。何故か。単に「洒落ているから」とか「みんな使っているから」とかそういうものではない。盲目なApple信者でもない。現に、オーディオ類はSONYだし、時計はNOZである。Air Pods ProやApple Watchではない。スティーヴ・ジョブズを崇敬してスマートフォンを開発するようなトンチンカンでもない。私は目的を持って、Appleに付き従っているのである。
それを今日は羅列していきたい。あくまで備忘録として。
- 徹底された同期
Appleは自社製品における同期性が他社を圧倒している。あらゆるデヴァイスにおける記録が、またたく間に、文字通り間髪入れず、他のデヴァイスにおいても表示される。
特に、メモ。iPhoneで記したものが、数秒後にはMacBookにも表示される。オフラインでも無ければ、メモはすべてのデヴァイスで瞬時に共有される。これが非常に便利である。例えば、知らない語彙をiPhoneで調べてメモに記す。そして、MacBookで何か書いていて、それを見たいとなったとき、わざわざiPhoneを持つ必要などない。MacBookでメモを開けば良いのである。例えば、何か俳句を思いついたとして、簡易的にiPhoneに残しておく。それをじっくり推敲したいとき、メールか何かで送っておく必要もない。いつの間にか、MacBookに出現している。iPadにおいても同様である。
即ち、この特性のメリットは、デヴァイスに依らず情報を記録、参照、加工できることにある。あるデヴァイスで記したものが、殆ど無意識に、他のデヴァイスにも移っている。言うなれば、デヴァイスは単に用途に合わせて使い分けているに過ぎない。情報は籠を抜けて、Appleの世界において、際限なくひらひらと舞う。我々は適切な手段でそれをキャッチする。それを可能にするのがAppleである。
無論、何もAppleに限った機能ではない。メモ帳で記したものをクラウドにアップロードすれば、簡単に代替できる。しかし、シームレスではない。情報は勝手に移ろってなどくれない。我々の手で、丁寧に移住させてやらねばならない。少なくとも、どこかしらそのような意識が働く。Appleは違う。Appleは情報を自動的に放ってくれる。その情報を、少なくともAppleにおいては自由にキャッチできる。それは作業効率の観点から非常に有益である。
なお、Air Pods ProやApple Watchにその効果は乏しいので、使用することもない。
- 優れたデザインによる作用
デザインの評価についてはもはや自明であろう。デザインは優れている。が、それは直接的な要因ではない。美しいデザインは副産物を私にもたらす。
誰にでも経験はあるであろう。美しいものに対峙したとき、人は荘厳な面持ちでそれを迎える。例えば出雲大社。例えば平等院鳳凰堂。例えば最後の審判。何でも良い。モデルの女性でも構わない。我々は美を前にして、また相応しくあろうとするのだ。
デヴァイスとて同様である。特にパソコン。表現の主たる担い手であるパソコンは、飛び抜けて美しくなければならない。MacBookはまさしくそれに該当する。
そうして威儀を正すことによって、二つの効果が期待される。一つは、怠惰の防止。少なくともMacBookに対峙しているときは、気高くあらんとする。それ故に、穢れ——政治問題やゴシップなど——に手を出す機会は消え失せる。どんなに疲れ果てていようとも、どんなに眠かろうと、平安時代について調べ続けるようになる。そしていつの間にか、雑学は蓄積されていく。つまり、ただ前にするだけで、少なからず清らかな活動を実現できる。
そしてもう一つは、インスパイアである。美しいものを前にして、私もまた美しく在ろう、表現も美しいもので在ろう、という意欲が無意識に働く。それがインスパイアをもたらす。たぶん。
故に私はMacBookを用いる。なお、これに限って言及すれば、スマホはiPhoneで無くとも良い気はする。が、情報の闊歩を鑑みれば、やはりAppleから離れられない。エンクロージャーである。まさしく哀れな子羊というわけだ。
- なんかいい
あと、なんかいい。なんかいいものを持っていることは、またなんかいいのである。お守りと同じように。
- 補記:CMの曲
直接的な要因ではないものの、これは述べておきたい。
CMに使用される楽曲のセンスが極めて良い。素晴らしい。あれほど優れた楽曲を用いているのは、他にホンダくらいしか無いのではないか。そして、ホンダは優れていると既に名高い楽曲——例えばSia やDaddy Yankee——を用いる傾向にある。
しかし、Appleはインディーズからも容赦なく美しいものを持ってきてしまう。YouTubeにおいて数万回程度しか再生されていないようなアーティストですら、Appleは地上波に載せてしまう。その審美眼たるや。もはや心服の域に達する。そのような企業であるからこそ、またプロダクツも美しいのであろう。