まどどブログ

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2022.02.04(残56日) 北朝鮮の文化について

2022.02.04

あと56日

 

 眠い。久々にまた眠い。

 

 私は北朝鮮における人権状況や政治などについて詳しく知らない。知らないことについては言及しない。私が述べたいのは、北朝鮮における芸術の雄大さである。

 日本人の、インターネットに立てこもった経験のある者であれば、北朝鮮の芸術が如何に我々のそれと比べて異質で、魅せられるものか、少しばかりは理解もできよう。彼らの文化はある種、世界から隔絶されたことによる洗練すら覚える。先軍政治チュチェ思想は文化にも色濃く滲み出ているのか、どこか雄大で、爽やかで、力強く、まさしく勝利を感じさせる数々の文化が芽を出す。それが北朝鮮の文化である。

 ところで、我々はなぜ彼の文化に魅せられるか。一つには異質さがあろう。地球が均等になっていくこの世の中で、彼らのような独特なものはもはや珍しい。それに、彼らは何かとヴェールに包まれていて、ミステリアスですらある。それが彼らそのものを引き立てている可能性は考えられる。

 しかし、それは本質でない——この事象に関して最も優れた説明でない——ように思える。彼らの文化が興味深く見えるのは、恐らく彼らの文化が、同志の下に立てられたものだからではなかろうか。

 

  • 偉大なる同志、偉大なる文化

 太陽たる同志、最高尊厳、偉大なる同志。彼らは、そのような同志を頂きに——それこそ白頭山の頂きに——見出している。そして、国家はそれを基軸に、いや、それによって成立している。すべての根底には同志が在り、天をも同志が覆っておられる。

 つまり、国家とは同志なのである。文化と言えど、それは偉大なる同志に捧げるものに他ならない。もはやそれが彼の国における文化の存在意義であり、揺らぐことのない理念なのである。

 その理念によって作られた文化は、尊いほどの調和と完全性を見せる。マスゲームも、軍事パレードも、『我らはあなたしか知らない』も、すべてがすべて、最高尊厳に対する崇敬なのだ。理念は決して揺らぐこともない。また、失敗は即ち死を意味するので、その完成度は我々西側諸国からは考えられないほどに高まる。

 結果として、文化はすべて同志の下に完成される。どの文化も揺らぐことなく同志への敬愛を、極上の状態で表現される。その調和が、その無欠が、文化を卓越したものに成らしめている。私はそう観察している。

 きっと、古代の文化もこのようなものであったのだろう。君主なり主教なり、誰かのためだけに捧げられていたのだ。

 

  • 日本に生まれてよかった!

 まあ、このことを当事者たちは恐らく感じ取ることすら出来まい。世界から隔絶されているからこその文化なのである。彼らに決して、こちら側の腑抜けた芸術は視えまい。

 むしろ、我々は彼らの文化を、あくまで視聴者として楽しめるのである。なんの理念も情熱も感じられない文化を自由に泳ぎつつ、たまに刺激を求めて彼らの成熟しきった愛を感じる。ああ、なんと贅沢なことであろうか。我々は文化を享受しているのである。自由とは、かくまで素晴らしいのだ。

 それにしても有り難いものだ。かくまで興味深い文化を担っている民草には、いったい何度お礼を言えばよいか。万が一、朝鮮半島が統一されたとしても、あの文化だけは称賛のまま続いてほしいものだ。資本主義の毒を煽るにはあまりに惜しい。