2022.02.05
あと55日
今日は特段に書きたいことがない。あまりに幸せなのだ。何もせず、ただ惰眠を貪って一日を終える、この日々が。
人間は現状、労働から逃れようもない。そして、多くの人間は労働を愛している。どうして、私もそのように設計してくれなかったのだろう。労働によって死が濃厚になるような人間がこの先、生きていくなど不可能ではないか。
私はただ寝ていたい。寝ることが何よりの快楽。そのような生物なのだ。
そのように設計したのは、誰だ?
- 人生におけるアクセルの緩め方とは?
多くの者は活動する上で、「なあなあ」というものを備えているらしい。アクセルを適度に緩めつつ、進む。そうして皆、器用に生きているのだ。
私には残念ながら、そのシステムが備わっていない。0か100か、そのいずれかである。集中すれば他のことなど一切意識に上らないようになるし、一度集中が切れて仕舞えば、文字通り動けなくなる。布団からの移動すら困難になるのである。私は今までだって、そうして生きてきた。
どのようにアクセルを緩めればよいのであろうか。どのように「適度に」生きていけばよいのであろうか。それが私にはわからない。感覚としてすら、感じ取れない。
誰か教えてくれ。
ああそうだ、一個だけ記録しておくべきことがあった。
私は一時間だけ余暇があったときに「たった一時間だしな…」と思って寝る癖がある。しかし、思えば一日とはそれが二十四個集まって構成されている。睡眠時間を除けば十四個程度である。そう考えれば、流石に1/14を無駄にするのは惜しいような気がしてくる。