まどどブログ

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2022.02.06(残54日) 作業用BGMについて

2022.02.06

あと54日

 

 『タコピーの原罪』について興味深く読んでいたが、最新話で急冷されてしまった。私は鉄なのだ。

 小学校のテストで100点を獲得するのは頭脳云々というより、運の問題である。小学校のテストなど、食パンよりも薄い範囲から出題されるのだから、よほど教師に嫌われていない限り誰でも100点を獲得できて当たり前である。私は少なくとも幼少期において満ち足りた家庭で生活していたので、虐待などについてはもの珍しく眺めていたが、あればかりはいただけない。リアリティ系の漫画であれば、妥協は許されないのではないか。

 無論、作品について外野が意見を具申するのは許されない行為である。作者が作品を審判することすらをこがましいというのに、部外者など言うまでもない。ただ、リアリティに欠ける、という感想に過ぎない。

 

  • 作業用BGMとは外界との決別

 今日は珍しく、朝から有意義な活動を送っている。早起きは三文の得、と言うけれど、それは確からしい。俳句を四首も詠んでしまった。俳句とイクでいっつも韻を踏みたくなる。

 そして、作業用BGMには音楽でなく、ラジオやトークを設定するのが良いらしい。

 そもそも作業用BGMとは何か。それは外界との決別である。作業用BGMという自然と異なる音を意図して設置することによって、外界——つまり自然界——との接点を切断し、作業という非自然に没入する。作業用BGMとは、そのためのデヴァイスであるように思われる。

 これを踏まえて考えたい。

 

  • 作業用BGMは音楽ではない

 音楽というのはそもそも芸術である。それそのもので完成しており、単体でも十二分に楽しめるよう設計されている。それそのものは望ましいことであるが、作業を並列させる場合には決してその限りでない。意識が揺れてしまうのだ。音楽の旋律に意識を引かれ、それに気付いてまた作業に心を戻す。その行き来が鋸のように精神を摩耗させる。それに、作業用BGMにするような音楽というのは大抵好みのものである。その傾向はより強化される。

 それを防ぐために、作業用BGMをランダムに選んだとしよう。秩序だったものが流れ続けるのであれば良い。が、ランダムとは必ずしもそれに限定しない。質の悪い音楽も登場する。そして、質の悪い音楽というのは、往々にして脳を貫く。耳障りなのだ。不協和音なのか、はたまた別の要素なのか、それは知らないが、とにかく意識そのものに干渉して止まない。作業が停止させられる。

 例外として、JAZZやクラシックなどは比較的耳にも思考にも善い。が、彼らとて芸術。魅せられるのは変わりない。

 

  • 作業用BGMはラジオである

 一方、ラジオは良い。まず、何より思考を妨げない。気をつければ良いのは、声である。声と使用される単語さえ不快でなければ、ラジオはほぼ確実に、思考に作用しない。何故か。その殆どは個々にとって一切興味のない話題だから。興味がなければ、意識をそそられることもない。稀に単語が遡上することもある。その単語さえ、例えば下ネタや下劣のネタのような愚にも付かない、不快になるようなものでなければ、そのまま作業に沈み込むことができる。

 そして、集中度の良い計測にもなる。基本、作業というのは時間を重ねれば重ねるほど、集中というものも霧散していく。そして、集中が尽きた場合、そのまま作業を続行するより、休憩を挟んだほうがより効果的である。その点で、ラジオは集中度の計測器ともなる。単語や話題、トークがより多く耳に入ってきたら、それは疲れている証拠である。そういうときはラジオに耳を傾けるのが良い。そしてだんだん飽きてきたら、それは復活の証である。また作業に戻る。そうして、適度な作業が可能である。音楽だと、わりと音楽そのものも集中力を要するので、あまり回復に効かない。

 

 さて、どうだろう。私はたった一度感じたことをそのまま定理とする傾向にある。それが普遍的に適応可能かどうかは検証を要する。

 また、ラジオとラヂオのどちらで表記すべきかはいつでも悩ましい。私としてはラヂオと述べたいものの、どうにも、オタクっぽくて嫌だ。痛々しい文体というものは、多くにとって魅せられない。