まどどブログ

普通の男子大学生が、有名作家になるか、破滅するか。そんな人生ドキドキギャンブルの行く末を提供しています。

2022.02.07(残53日) 温泉という「解放」について

2022.02.07

あと53日

 

 私は温泉愛好の種目で2022年北京冬季オリンピック日本代表を務めている。嘘である。が、温泉を愛してやまないのは事実である。今までどれほど温泉を訪ねたことか。

 そして、いまの私は久しく温泉に入っていない。久しく、と言っても、一ヶ月程度であろうか。ああ、温泉が恋しい。人間などより温泉と結婚したいものだ。

 

  • 温泉とは「解放」である

 温泉とは何か。それは「解放」である。開放ではない。

 第一に、服から解放される。我々は服によって裸体を覆う。それは即ち、自らのありのままの姿を隠していることにも繋がるし、何より窮屈な感じがある。それを取っ払う。裸でも許される。それは物理的な広さのみならず、服によって縛り付けられているもの、社会性を保つための抑圧から少なからず解放されることを意味している。

 第二に、空間から解放される。我々は普段、家という縄張りを保有する。それは裏を返せば、我々を閉じ込める檻でもある。一方温泉とは、大抵部屋、ないし家の浴槽に比して広々としているものである。その奥行が、我々を檻から出す効果を発揮する。露天風呂であればなお良い。

 第三に、緊張から解放される。そもそも湯に浸かることは人を安らかにさせる要素がある。さらに、温泉とは何かしらの効能があるとされている。我々もそれを真に受ける。そうして、なんだか身体に良い感じがしてくる。そのうち、我々は温泉によって解されていく。

 

 そして、その解放は、普段の思考回路をも組み替える効果を持つらしい。私は温泉でよく物思いに耽り、天啓を得る。

 だから私は温泉を愛しているのだ。あと、外で裸になるのは——倫理的に問題を孕む意味ではなく——単に心地よい。そもそも人間は原始、裸であった。それが自然なのだ。