2022.02.11
あと49日
忌々しい。俺に労働をさせるな。俺という存在を労働に資するのは、明らかに地球にとって不利益である。俺のような人間はただ寝かせておくのが良い。
労働などしてたまるものか。いっそのこと。そんな危うさが、雄大の嘔気とともに、私の中に再び湧き上がりつつある。
いやいや。私は不老不死になるのだ。それまでは死ぬことなど——結果としてそれを招くような行為ですら——許されない。
ご覧のように今日はとりわきて暗澹たる心中なのだ。何を書こうにもあの憎たらしい労働の姿が脳裏をうごめいて手を止める。死ね。さっさと死ね。労働など人間に不要である。
労働は人間を人間たらしめると聞く。何を言っているのか。それは野性の域を出ない。我々は理性を以て芸術を愛することが出来るのだ。労働が無ければ心の死んでしまうような輩は、この美しい星に不要である。
労働を殺せ。労働を殺せ。私を殺すな。私のようなか弱く無害な人間をどうして群がって殺害しようとするのか。それよりも、労働という害虫を駆除するほうが先決ではないのか。
私は生きていようとも特に何もしない。何かを成就させる才もない。しかし、労働は人を殺す。労働は人を地獄へと突き落とす。労働は人間を野蛮なものへと貶める。私より労働を殺すべきことは、火を見るよりも明らかである。
いいから黙って労働を殺せ。労働を潰せ。労働を無くして、皆で死のう。世人というのは、不老不死に理解を示さない。いつかは死ぬのが当然、そう思っている。つまり、死にたいのだ。どうせ死にたいのであれば、いつ死んでも変わりはなかろう。
さあ、今死のう。今すぐに労働を止めて、死んでしまおう。そうすれば、持続可能な社会も実現できて一石二鳥、オトクである。SDGsの達成は危ういと聞く。地球のことを考えて、人間が率先して死んでしまおう。SDGsを掲げる企業よ、お前らがすぐに解散すれば自己矛盾は解消されるのだ。
私は死なない。不老不死になりたいのだから。