まどどブログ

普通の二十代前半男性が、夢を見るか、破滅するか。そんな人生ドキドキギャンブルの行く末を提供しています。

2022.02.14(残46日) カフェインについて

2022.02.14

あと46日

 

 なんだろう。今まで小説というのは、片手間に——あくまで画面上に文字列を並べる作業の如く——記すか、悪夢を見るほど深く潜り込むか、その二択であった。

 昨日は新たな局面が見えた。語り部である。確かにその小説の世界を見ているし、感じている。が、あくまで冷静に、それをあたかも語り継ぐ、俯瞰して供述する、その冷静さが常に維持されている、そういうように文字を連ねていく。源氏物語における作者の役割のようなものを、強く実感するような、そんな感じ。確かに眠りは深いが、決して悪夢など見ないし、僅かながら作中の感情——今回は寂しさ——を持ちつつも自己はあくまで自己として保っている。物語を眺めているような感触。

 そういう書き方もあるんだなあ、と我ながら感心する。これが30なり80なりの世界なのだろうか。

 成長、しているのかな。これを成長と呼んでいいのか。仮に成長だとして、実を結ぶのか。そればかりはわからない。

 

 あと私の書き方では、どうにも英文に影響されているようで「それ」を多用してしまう。目的語なり主語なりの省略にどうも違和感を覚えるのだ。が、とっても読みにくい。ふと思った。矯正せねば。

 

  • カフェインの功罪

 カフェインは我々に対して表の顔と裏の顔を持つ。

 表の顔。カフェインは明示的に集中力を高める。没入度が桁違いである。

 裏の顔。過剰に興奮へと働きかける。必要以上に浮足立って、論理的思考力を少なからず奪う。結果として、小説の流れも支離滅裂なものとなる。

 なお、カフェインは苦いものが良い。緑茶やコーヒーなど。古来よりカフェインを含むものは苦いのだ。故に、苦味がよりカフェインの作用を高める。甘味と合わせれば脳の効果をより高める。それに、苦いものは重力を教える。落ち着きを与える。カフェインの裏の顔を拭い去ってくれる。

 エナジードリンク。確かに糖分とカフェインを同時に摂取できるので効率的ではあるものの、甘いというものはどうにも人間にとって「カフェイン=没入剤」として認識させない。元来、眠気覚ましとは苦いものなのだから。結果として、何だかふわふわしているだけのろくでなしが出来上がる。エナジードリンクは徹夜以外の場面で作用しない。

  なお、カフェインには中毒性があるらしい。が、私にとって、というより多くの日本人にとって、恐らく実感する機会などほぼ無い。みな緑茶を愛しているから。カフェイン中毒なのか、緑茶中毒なのか、我々にそれを峻別できようか? 出来やしない。そもそもカフェインを含む飲料というのは魔性を持つのだ。お茶にしろ、コーヒーにしろ。

 まあ、カフェイン錠剤を飲みはじめたら、中毒の疑いは一気に強まるだろう。くわばらくわばら。

 

 そういえば劣等感の裏返しで「よい」を「善い」として多用していたのだが、そもそも「善である」という意味であった。多くにおいて意味が通らないな。