まどどブログ

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2022.02.17(残43日) 自由民主党という王朝政治について

2022.02.17

あと43日

 

 頭が痛い。なぜこんなに早起きしていて、かつ昼も眠くて耐え難いというのに、夜は一転、目が冴えて冴えて仕方がないのだろう。この世は間違っている。

 それにしても、起床時間こそ一日の流れを決定する要因だと思っていたのだが、どうやら違うらしい。朝、如何に早く洗顔まで行き着くか。これが肝要なのだ。これが遅くなればなるほど、身体は気怠くなっていく。

 

 政治に興味はないと言いつつも、貴族政治に心打たれるような私である、横目でちらりと見てしまうほどの関心はあるようだ。あくまで素人見線の戯言として読んでほしい。

 ちなみに、特段の政治主張を持つものでもない。自由民主党支持者でも野党支持者でもない。議会制民主主義にはとことん興味がない。客観的な感想として、以下のことを感じたまでだ。

 

 素人ながら思うに、自由民主党というのは王朝政治だと思う。何を言うか。民主主義そのものであって、決してクローズドな世界ではない。その通り。言い換えれば、国民の信託を得た王朝政治である。

 そもそも、自由民主党に一貫した政治思想は存在しない。かの組織が抱える大量の議員先生。その思想はあまりに幅広い。野田聖子先生と杉田先生とが同じ党に所属していると言って、いったい誰が信じられようか。良く言えば多様性に溢れた、悪く言えば脊髄のない政党。それが自由民主党である。

 そして、どのような政策が重視されるかは——無論、世論を反映しつつではあるが——基本的に政争によって決定する。誰が総裁となるか、どの派閥が重用されるかによって、政策の骨格は揺れ動く。その決定に我々国民は関与しない。我々国民に出来るのは、それを信任するか否か、ただその審判に限る。

 これこそ王朝政治だと私は言いたい。他国であれば——差はあれど——政党ごとに政策に関して明らかな差異があって、国民はそれそのもの、即ち政策そのものを選択することが出来る。そのように私は認識している。

 我々にその権利はない。自由民主党があまりに巨大なのだ。政体そのものと言っても良い。幕府のように、朝廷のように、あまりに多様な——むしろ相反するような——思想を含有する。その中では明確に政敵があって、数多くの派閥があって、あらゆる抗争と忖度が重なって、はいどうぞ、と政策が我々に提示される。我々はただ、その過程等を眺めつつ、その審判を下すしかない。政策そのものを選択することは出来ないのだ。王朝政治と何が異なるだろうか。貴族の政争と先生方の抗争、その違いを私は見出すことが出来ない。強いて言えば、ブラックボックスであったか否か、それだけだ。「お上」の政治であることに何ら変質はない。

 そういえば、先日の菅首相の失脚も、総裁選前の衆議院解散という「噂」が決定打であったらしい。その実、私は感動したのだ。噂で失脚など、平安京、いや平城京の伝統を踏襲しているではないか。皮肉ではない。千年もの間、我が国の政が変質していないことに、純然たる感銘を受けたのだ。

 

  • 我々が「お上」へ信託する

 そして、自由民主党に王朝政治を許しているのは、他ならない我々である。そもそもその「お上」的な政治を嫌うのであれば、選挙で否認すれば良いのだから。しかし、そうしなかった。何故か。自由民主党に任せておけば安心だから。

 まず、長らく権力に座してきたこともあり、堅実である。それが国家にどのような影響を与えるのかは知らないが、少なくとも、すぐさま国家の崩壊に繋がるようなことをしない。例えば財源もなしに消費税廃止を唱えたりしない。あくまで世論と実情と党内とを俯瞰して妥結案を提示する。

 そして、実績に満ちている。これまでも「お上」として政治を委託してきたのだ。それで大きな問題が起きていないのだから、他に任せる道理もない。とりあえず任せておけば、なんとか国家は存続する。

 こういう安心によって、我々は自由民主党に政治を委託し、自由民主党は王朝政治を展開する。個人的に、議員先生が博識なのも貴族を思い起こさせる。世襲議員が博学であったりすると、もう、日本の伝統に感謝せざるを得ない。

 

  • 野党という王朝の自浄装置

 それにしても、野党には同情する。自由民主党は政策のカメレオンである。実現性のある政策は王朝に吸収される。故に、戦いは自然と人情へと移ることを強いられる。不祥事であるとか官僚支配であるとか、そういう仔細なバトルを展開する。

 それで運良く政権を獲ったとして、今度は王朝の反撃が待っている。与党を数十年守ってきた政党が、政策論争で負けようか。少しの矛盾でも徹底的に糾弾されるだろう。民主党時代の質疑を見たことがある。自由民主党というのは恐ろしい。何も権力を保持し続けるというのは偶然の産物ではない。人材もその重要な構成要素なのだ。そして完膚なきまでに破壊される。民主党が壊れてしまったように。

 あまりに悲しい。この日本において、野党に勝ち目は薄い。ただ自由民主党の自浄装置なのだ。権力を持ち続けるものは腐る。自由民主党とて例外ではない。が、この国には野党という洗浄機が存在する。自由民主党が腐り始めると、野党が国民に期待されて躍進する。焦って自由民主党は洗浄する。綺麗な自由民主党が誕生する。そして野党は徹底的に糾弾されて壊れる。勝者は自由民主党。悲劇だろう。誰も権力を全うできないのだ。

 

  • 王朝が崩壊するとき

 では、この自由民主党という王朝が崩壊するのは、如何なる時か。私は二つ、考える。

 一つは、国会そのものが腐敗したとき。そもそも民主主義が成立しているのは、国家のことを真剣に考える候補者の存在がある。国家に向き合う者が居るからこそ、自由民主党は現実的な政策を打ち出すし、野党は与党を批判する。選ぶべき人間が全員腐っていて、自己の利益だけを考えるようになっていたならば、この構図はもはや崩壊する。全員が全員、議員報酬を百倍にする法に賛同して終われば良いのだから。そこに論戦は必要ないであろう。そして、このとき、恐らく国会とともに王朝は崩壊する。革命によって。

 もう一つは、そもそも議会制民主主義を放棄したとき。そのとき、言うまでもなく自由民主党という政党は解体に追い込まれるであろう。

 おわかりだろうか。つまり現状、国会の崩壊くらいしかシナリオが思いつかない。自由民主党が腐る可能性も無くはないが、彼らは権力の座に在るからこそ自由民主党なのだ。野党が真っ当である限り、その可能性は考えにくい。

 

 ああ、もう一つだけ思いついた。自由民主党よりも保守的な政党が躍進したとき。自由民主党というのは、多かれ少なかれ保守政党であり、リベラル政党と併存することによって保守層から中道層の支持を集め、その地位を確固たるものとした。

 ここで、仮にさらなる保守政党が登場し、それが何らかの原因によって躍進した場合、自由民主党はその地位を揺さぶられる。恐らく、かつてリベラル政党へと仕掛けたように、保守に寄っていってその勢力をも取り込むのであろう。自由民主党とは権力を飲み込むカメレオンなのだから。

 が、仮に安牌に逃れようとして、リベラルに走った場合。支持層は、そして右翼の議員先生は、どのように行動するのか。

 

 矢張り興味のないトピックはダメだ。途中で思考を放棄しつつあった。