まどどブログ

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2022.02.25(残35日) ウクライナ情勢④ / 敵意の拡大に構えよ

2022.02.25

あと35日

 

 ラブアンドピース!

 愛だよ愛!

 

(2022.02.26注記:以下において、私は著しく興奮している。義憤に囚われていたのだ。)

 

  • ロシアくんさぁ…

 昨日の記事の大筋を記したのは侵攻の前であった。それから大きく情勢は変わってしまった。何の大義もなくプーチンが宣戦布告し、それと同時にウクライナ全土で爆発が相次ぎ、ヘルソンとチェルノブイリは陥落し、制空権は握られ、オデッサとの連絡は途絶し、マリウポリとハリコフは激戦地となり、キエフが今や脅かされている。首都の陥落はもはや時間の問題だし、ベラルーシ方面の動きでは、リヴィウすら危ぶまれる。全土を掌握するつもりなのだ。つまり、ロシアは主権国家ウクライナを武力によって支配する。この事実はもはや揺るがない。核の使用すら匂わせる。

 なんと田舎じみているのだろう。流石に野蛮が過ぎる。野蛮国家というのは令和の時代になっても野蛮国家のままである。スラヴの盟主が聞いて呆れる。少しは中華たる隣国を見習ったらどうか。中国ですら、父親としてのプライドは古来より持ち合わせていた。最悪である。アメリカも大概であるが、ロシアはさらに質が悪い。

 ああ、矢張り歴史に欠ける国というのはその程度の品格しか持ち合わせていないのか。御堂殿と内府が激しい権力闘争を繰り広げている最中、彼らは何をしていたのか。だから平和を知らないのか。哀れなことだ。相手を殺すことでしか権力は獲得し得ないと誠に考えているのやもしれぬ。旧石器時代の風習が残っていると考えれば、それもまた感心である。保護してやらねば。世界自然遺産に登録するのも良いかもしれない。

 なお、いくらプーチンがほぼ独断しているとは言え、そのような低俗で品性に乏しい指導者を選んだ責任が他のロシア人に一切無いというのは考えにくい。プーチンが独裁者であることは、ロシアそのものを糾弾出来ない理由にならない。そもそも、かの国は直接選挙ではないか。もしや、最初期から選挙は制限されていたのだろうか。仮にそうだったとして、では何故敢えて権力闘争の果てにプーチンが選ばれるのか。人間など腐るほど居るのだから、品性に溢れた人物を権力側で選べばよいであろう。品性の無い人間を権力に戴き、あまつさえ独裁まで許すというのは、周囲もそれを追認していることに他ならない。故にロシアという国としての責任は完全に否定されない。そもそも大ロシア主義というのはロシア政界に広く浸透しているのではないか。なおさら罪深い。悔いて主に詫びよ。

 そういえば、我々は独裁というものを殆ど経験したことがない。せいぜい初期の帝か、後醍醐院か太閤か。何という幸運だろう。高天原に背を向けて寝られない。古事記も読まなければ。

 

 いや。完全に罵倒してしまっているな。恥ずべきことだ。流石に偏見に過ぎる。それでも怒りは抑えられない。自身でも感心するほど私は怒っている。かつて武家が王朝を破壊したように、武力の行使は文化への挑戦だから。まあ、それは別の話。述べたいことも多いが、取り急ぎ言いたいことがある。

 

  • 敵意の拡大という危惧

 昨日はずっとテレビとSNSを行き来しており、久々にワイドショーも見ていた。いや、落ち着いて考えれば、ワイドショーで戦況が報道されていることなど、考えたこともなかった。恐ろしい世になったものである。宇治もびっくり。

 その中で、ある傾向が見られた。コメンテーターの多くが、プーチンを呼び捨てにしている。ような気がする。気のせいであればよいが、どうにも、プーチンだけ呼び捨てにして、バイデンや習近平に関して称号を付している、という人が多いような気がする。仮にこの傾向が確かであるなら、私はこれを極めて危惧している。

 この「プーチン呼び捨て」現象が何を差すか。それはプーチンの正当性の否定に他ならない。本人たちはそれほど気にせず称号を外しているのかもしれないが、バイデンや習近平は元首に相応しいがプーチンにその資格はない、という潜在的意識の表出している可能性が高い。これはつまり、敵意である。我々がヒトラーを総統と呼ばないように、プーチンはもはや敵国の、悪の指導者であると認識していることを暗示している。

 まあ自業自得であり、必然であろう。これそのものを私は否定しない。現に、私も上記のように罵倒している。国際秩序と平和を破壊する野蛮国家に気遣う必要もない。しかし恐ろしいのは、これが私個人の認識ではなく、世論として形成されることに在る。

 コメンテーターが公然としてプーチンのみ呼び捨てにして、それが定着したとする。つまり、バイデンや習近平と対称性を持つ元首としてではなく、元首として呼ぶのに当たらない、野蛮人としての評判が定着する。そのような敵意が醸成されれば、どうなるか。ロシアに対する警戒感が際立つ。これは今までの中国や韓国のように、文化・政治面での対立として認識されるものではない。安全保障として、侵攻の可能性として、現実的な脅威としての警戒感である。

 これが何をもたらすか。何も無いのかもしれない。ただ交流が鈍化して終わり。それなら良い。しかし、この警戒感というのは、戦前の日本人が持っていた連合国に対するものとそう大差ない可能性がある。

 満州に活路を見出し、日中戦争をブチ上げ、結局南進論を選択したもの、結局は、アメリカ合衆国ソヴィエト連邦への恐怖心が根底に有ったように思える。国家の安全に対する危機感。我々は虐げられる可能性があるという恐怖。支配への抵抗。それが、政府の制御から逸脱した関東軍を支持する世論。比較的好意的な見方を示していたリットン報告書の否定。真珠湾攻撃。そうやって、結晶したのではないか。

 そして今は、ロシアに攻め込まれるという恐怖。恐らく、時流の差はあれど、人間の持つ本質的な感情としては大きく変わらない。そして、それが悪運を持つことでどのようになるか。我々はそれを知っているはずだ。

 まだ、私一人の勝手な妄想であるが。

 

  • 合理ならざる敵意に注意せよ

 故に、気をつけなければならない。あの国はどうしようもない野蛮国家である。それはもはや疑う余地もない。令和にもなって、なお主権国家へ公然と侵略する。有り得ない。が、その感情を公に共有すべきではない。少なくとも、メディアが囃し立てるべきではない。国家を考えたときに、合理的な視点を妨げる恐れがある。我々は民主主義国家である。合理が失われれば、そのまま政府も合理を失う。

 恐らく、世界は軍拡の道に進むだろう。もう改憲も回避できないかもしれない。それは仕方ない。狂気が控えているのだから。が、それはあくまで合理的で無ければならない。恐怖の色を含ませてはならない。理性と感情は必ず分離しなければならない。ロシアは野蛮。大義もなく攻め込む狂った国。平和を嫌う国。では、その野蛮国家にどう対処すれば良いか。どのような事態を想定すべきか。あくまでそのような思考回路で無ければならない。

 ロシアを擁護するな、とは言わない。ただ、明確な敵意を煽るな。対称性を損なうな。ロシアとて、残念ながら強国である。それを明確に差別することは、合理とは違う。合理と呼べない。

 我々は歴史を持つ。悠然と、合理によって思考を為さなければならない。歴史を忘れた先人の轍を踏むことなど在ってはならない。二度と日本を蹂躙されてはならない。次は京も焼かれてしまう。帝も殺されてしまう。それだけは回避しなければ。我々は歴史を持つのだ。

 

 これだけは、まず言わなければならない。誰も読んでいないと思うけど。