2022.02.27
あと33日
わからなくなってきた。情勢はあまりに複雑怪奇で、混沌としつつある。野蛮国家を遍く罵倒したい心地はもはや混乱に消え失せた。
果たして此度の侵攻はロシアの国益に適ったものなのであろうか。真っ当な支援国を得られず、国際的な信用を地に落とし、厳しい制裁を課されるというデメリットを上回るほど、ウクライナの政権転覆というのは何か利益をもたらすのであろうか。
考えられることは制裁の早期瓦解であろうが、予想以上に欧米、特に東欧諸国の結束が固い。まさかハンガリーまで経済制裁に同意するとは思わなかった。また、支援国も極めて少ない。カザフスタンや中国にすら静観される始末である。読み誤ったのか。それとも予想通りなのか。
何が狙いか。国家元首はともかく、クレムリンは少なくとも極めて冷徹な思考の下で意思決定を為しているに違いない。ロシア側の想定する何か明確な国益が確実に存在するはずなのだ。しかし、それは何だろうか。仮に圧倒的な力によってゼレンスキーの首を狩ったとして、それが何をもたらすのか。まさか、北朝鮮化でも目指そうというのか。いや、しかしそれにしては国民の生活レベルがあまりに高い。
もはや素人にはわからない。判別しようがない。故に今日は少しだけ、事実として起こっている戦争から逃避したい。
- なにもなにも
可愛いものは目に善い。例えば猫。例えば犬。例えば狐。例えば狼。イヌ科とネコ科の皆さん。その空気を纏った人間の皆さん。すべて善い。かわいい。
特に、可愛いものを自覚せず振る舞っているものはとても善い。狼など良い例である。彼らは自分を可愛いと思っていないし、また獰猛に他の動物を噛みちぎり、殺す。一方、彼らは事実として可愛い。その乖離こそ、可愛らしさの要である。ライオンも同じ。つまり、犬と猫は残念ながら彼らに劣る。犬と猫は自身が如何に愛らしいか、それを十二分に承知して行動している。それでは面白くない。可愛いと思っているものが可愛いのは、在る種のレトリックのようなものである。その点で、狼などはなお心に染み入るので善い。
そして、かわいいものを観ることは心にも善い。生きる欲望がみるみるうちに湧いてくる。かわいいね。ずっと眺めていたい。
何が言いたいか。生きていたいのならば、かわいいものを愛でよう。特に自身の可愛さを自覚していない者。その狂おしさこそ、この苦行に与えられたほんの僅かな希望である。メシアである。
できればずっとそばに置いていたい。無理かしら。