まどどブログ

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2022.03.03(残29日) ウクライナ情勢⑨ / 国家の精神的支柱とウクライナ侵略について

2022.03.03

あと29日

 

 ロシアがこのウクライナ侵攻で失ったもの。数多あろうが、確実なものとしては一つ。信用である。一般的に見れば破綻している論理で隣国を攻撃するという行為はどうやら広く受け入れがたいようで、先の緊急特別会合においても親露国家の賛成・棄権が多く見られ、結果として国際社会の約70%から拒絶されるという客観的事実が残った。ロシアの言う「欧米諸国」とは141ヶ国のことを言うのだろうか。面白い見解である。

 個人的に驚くべきはアルメニア及びキューバの棄権とセルビアの賛成である。そもそもすべて親露国家だし、前二つはロシアに追従する国家、セルビアNATOから屈辱的な爆撃を与えられた国家である。それでもそれぞれ、このような投票を行った。その意味は大きいように、素人ながら感じる。

 それにしても、ロシアの今後が不安だ。近い将来、プーチンの言うところの「ルーシの統一」は達成されるであろう。ウクライナ軍がロシア軍に勝利するとは思えない。とりあえず、彼の望みは達成されるわけだ。だが、それは中長期的に見て、真の歴史的偉業と呼べるのだろうか?

 此度の戦争によって、ロシアはあらゆる副産物をもたらした。その中で私が最も偉大だと感じているものが一つ在る。それはウクライナという国家の精神的支柱である。私の勝手な推察であるが。

 

  • 国家における精神的支柱と国民

 国民が国家を受け入れるのに重要なものは何か。歴史。民族。宗教。然り。が、正確ではない。重要なものは、精神的支柱である。

 ここで断っておきたい。国家は無条件に受容されるものではない。国家というのはあくまでシステムに他ならない。極論を持ち出せば、人為的に——アフリカ諸国がそうであったように——区別できるものである。地図に線を引いて、左側がA国、右側がB国と決めて仕舞えば良い。それを受け入れるかどうかは、また異なる議論なのだ。肯定すれば国家が確定するし、拒否すれば分離独立が起こる。

 つまり国境線というのはあくまで線であり、それ以上の意味を持たない。いくら複雑であろうとも、いくら丘陵に美しく沿っていようとも、それを受け入れる者が居なければ何の意味もない。

 では何故多くの国家がその国境線を受け入れているのか。その国境線に納得できるから。即ち、精神的支柱を持つから。これに他ならない。

 例えば我々ではどうか。我々は幸いなことに、千年以上に渡る文化を持つ。日本食、神社、日本語、歴史、土地、すべて連続して我々日本人のものである。さりげない日常に、例えば夕食の白米と味噌汁に、例えば近所の神社仏閣に、日本人たる精神的支柱が散りばめられている。故に我々は疑う余地なく日本人であり、日本国という国家に所属しているのだ。

 

 さて、ウクライナたる国家の精神的支柱は何か。私が思うに、それは乏しいものであったのではないか。

 ウクライナというのはソ連から独立して三十年足らずの新興国家である。キエフ・ルーシを誇るものの、その「キエフ」はとうの昔に破壊されている。そして数百年にわたり、多くの民族によって支配下に置かれた。ソ連お決まりの移住政策によって、民族の統一性も損なわれた。

 つまり——ウクライナ人という民族的枠組みではなく——ウクライナという国家の枠組みで考えたときに、その共通項はきっと少ない。ロシア人とウクライナ人では歴史に対する認識が異なるであろうし、ヨーロッパに帰属するかロシアに帰属するか、その意識とて地域によって差は大きかろう。現に、親露派と親欧派で揺れ動いてきたし、地域によって綺麗に傾向は分かれている。東北と九州が真っ向から対するようなもの、と捉えれば、日本との乖離が感じられるだろう。併合、とまでは論が進まずとも、恐らく国境線を受容するための国民のコンセンサス、つまり精神的支柱には欠けている国であった。それがウクライナであったように思われる。以前までは。

 しかし、かの蛮族がウクライナに侵略した。クリミア併合以後から続いた脅威は、遂に現実のものとなった。ウクライナウクライナとしていま、存続の危機に立たされている。大国・ロシアを前にして、ウクライナは風前の灯となりつつある。

 そして、ゼレンスキー大統領は抵抗の標となった。ウクライナ国民はロシアとの決別を明確にした。護国を誓った。「キエフの幽霊」などという謎のヒーローまで語られるようになった。ウクライナ国民は疑う余地もなく、ウクライナという国家を包容し、心に刻み込んだ。それは最近の支持率を見ても明らかである。ウクライナ国民はウクライナという国家に属することを痛切に願っている。

 これがプーチンの成した最も偉大な功績である。ウクライナに精神的支柱を与えてしまったのだ。歴史の乏しい、民族としても一体ではない、地域によって大きく隔たりも在る、その国家を団結させてしまった。ウクライナ国民に、ウクライナという国家を受け入れさせてしまった。

 これで仮にルーシを統一したとして、どうやって占領統治を行おうと言うのか。ウクライナ国民はもはや「ウクライナ人」としてのアイデンティティを確立した。プーチンの考えるような「ロシア民族」ではない。そしてアイデンティティというのは、ユダヤ人を見れば分かるように、何千年でも受け継がれる。

 ユダヤ人は心の中にイェルサレムを持っていた。彼らは数千年が経過していようとも、娘イェルサレムの罪を忘れること無く、常に主の御言葉を胸に留めて、長きに渡る迫害をも耐え抜き、その強固な絆を維持した。その結果、誰もが知るようにイスラエルは復活した。あれは極端な例であろうか。そんなことはあるまい。あれほど頑丈な関係性でなくとも、例えば華僑が強く連携しているように、精神的支柱というものは長く残る。そして、ウクライナ国民も、恐らくこのようになる。

 つまり、ウクライナ国民が「ロシア民族」として自己認識することなど有り得ない。きっと「ウクライナ人」として民族の壁を乗り越え、ウクライナの復活を狙い続けるであろう。抵抗運動も当然激しさを増す。そのとき、果たしてロシアは苛烈な経済制裁とともに、「ウクライナ人」に対処することが出来るのであろうか?

 この件に関して、プーチンは明確に失策したと考える。かつてアメリカがチリにやったように、陰に陽に圧力を掛け、効果的に親欧派を駆逐すべきであった。愛想を振りまきつつ国家の分断にまで貶めるべきであった。そのようにしていれば、全土の平定は望めずともロシア人の多い東部くらいは手中に収められたのではないか。米帝がするように、大きな損失なしに目的を達成できた可能性すら在る。悲しいかな。もはや不可逆な情勢にまで進んでしまった。今や致死間近の出血を伴う様である。そして止血されることもない。ウクライナ国民はウクライナとともに歩むのだから。

 アイデンティティの根付いた彼らを、真にロシアへと回帰させることなど出来はしない。ウクライナという国家に属するための精神的支柱を、いま「ウクライナ人」は保有する。仮にどのような結末になろうとも、かつてユダヤ人がそうであったように、ウクライナ国民もまた、心の奥底にウクライナを見出し続けるであろう。

 

 なお、以前「ロシアはスラヴの盟主を目指している」と書いたような気のするが、それは誤りである。ごめんなさい。

 

 ちなみに、私はこの「精神的支柱」という観点に基づいて考えれば、蝦夷琉球に関しては独立の正当性は否定できないと考える。たった百年程度の歴史で彼らは消えない。が、これはあくまで和人と異なる精神的支柱を得た場合に限る。現代のように日本人として同一化されている彼らに分離する必要性は薄い。その場合、彼らは日本人なのだから。

 アイヌ語琉球語を広く用いるようになり、和人のそれとは一線を画す文化に立ち返り、もはや和人の匂いすら覚えない、「蝦夷人」や「琉球人」としてのアイデンティティを形成するようになったとき、初めて彼らは独立の権利を持つ。それもなく独立を叫ぶのは単なる国家転覆に他ならない。和人でありたいなら和人で無ければならない。

 ああ、蝦夷人と琉球人が蘇らないものか。私は文化を愛する男なのだ。国とて、文化ごとに割れているのが好ましい。

 

  • さらに補記:上位の狙い

 いつものようにネットサーフィンに繰り出していたら、一つ面白い見解を見つけた。ロシア軍としてはあまりに杜撰である。これは何かの布石ではないのか、と。

 その発想は無かった。確かに、その可能性は否定できない。なんだろう。核を実用的な兵器として運用するとか?