まどどブログ

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2022.03.05(残27日) 労働について① / 労働とは即ち死であり、子供について

2022.03.05

あと27日

 

 腹の奥深くに泥のような炎を湛えているときこそ筆が進むらしい。労働という死を間近に控えているからか、私の魂は憤怒を示している。あるいは、腸に火竜が紛れ込んだか。

 

  • 子供について

 私は子供が嫌いである。子供というのは秩序を乱す。例えばバス。バスの中には心地良い静寂が広がっているというのに、子供はそれを容赦なく壊す。憩いの場を私から容赦なく奪う。

 騒音の発生源ということに留まらない。彼らは留まることを知らない。動き回るのだ。周囲が美しく整列しているというのに、それすらも無視する。動き回り、騒ぎ立てて、場の空気を壊す。

 また彼らは傲慢ですらある。他者への配慮というものを知らない。自らが世界の中心だと信じて疑わないし、それを平気で押し付けてくる。それを拒めば、私の社会的地位が著しく低下することも知らずに。

 無論、大人や老人でも秩序を知らない愚かな人間は多く在る。しかしすべての人間が該当するわけではない。子供というのは概して、すべて五月蝿いし、邪魔だし、目障りだし、傲慢である。だから子供が嫌いである。

 こういうことを言うと、「お前も子供だっただろう」という反論が大抵為される。言語道断。過去私が子供であったことと、現状私が子供を嫌うこと、それに一体何の関連があろう。私が傲慢であることを許されたのは、周囲がそれを許したからに他ならない。私が成長して傲慢を嫌うことに、何ら接点は存在しない。周囲が許したことと私が許さないことを何故同一視出来るのか。不思議でたまらない。

 無論、マクロ視点で考えれば、子供の消え去ることは避けられるべきことである。国家の維持に人口増加は不可欠だから。しかし、それと関係なく、私は子供が嫌いである。ああ、子供なしに生活できる地域を設けてくれないものか。私の文化レベルを維持するために子育て世帯の増加は大いに推奨されるべきである。そして私は子供を忌避する。その妥結点に、そのような地域が見出されるべきであると強く思う。

 

  • 金銭の獲得について

 言うまでもなく労働によって得る金には何ら有り難みなど無い。労働というのは自身の寿命、つまり魂を削る行為であって、その代償として金、つまり生活そのものを与えられるのはもはや当然である。血を吐いて血を得ているようなものだ。等価交換に他ならない。有り難みを感じる余地など無い。

 よく「お給金を得ている有り難みを〜」「お客様からお金をいただいているという感謝を〜」などと高らかに演説する者が居る。全員詐欺師である。労働によって金を得ることに感謝の念など抱く必要もない。正確に言えば、抱くことも出来ない。少なくとも資本主義社会においてそれは自然現象なのだから。

 真に感謝の念を抱くのは、労働無くして金を得ることだ。対価無くして生活を得る。素晴らしいことではないか。誰かが私の生活そのものに価値を見出した瞬間である。そのときこそ、初めて「ありがたい」という言葉を発する余地が生じる。

 

  • 労働は死

 いや、そもそも労働の無いことに感謝の念を抱くというのも、何だか労働を過大視しているようで気味が悪い。労働とは死、それ以外の何者でもない。

 そもそも、なぜ我々は労働しなければならないのか。金を得るためである。なぜ金を得なければならないか。命を繋ぐためである。なぜ命を繋がなければならないのか。死なないためである。つまり我々は死なないために労働を為す。

 しかし労働というのは前述したように、寿命の削減でも在る。これは簡単なことで、労働時間の分だけ残された時間、つまり寿命が少なくなっていく、ということに他ならない。つまり、労働によって死は徐々に歩み寄ってくる。そして一般的な人間であれば数十年ほど労働に身を焦がす。気づけば六十。いや日本であれば七十か。労働力として価値を失った段階で、やっと我々は労働から見捨てられる。

 しかし労働に必要とされない身体で何が出来ようか。何も出来まい。労働に搾り取られた魂が戻ることもない。労働に見捨てられることは即ち、労働という主にとって何の役にも立たない状態になったので奴隷として不要になった、それだけの話である。つまり、その身体はひどく疲弊している。そして間もなく死ぬ。

 故に労働は死なのである。たった今、その一瞬を生き抜くためだけに労働を行う。そして労働から逃れられずに老いる。労働から破棄されたとしても死ぬ。つまり、労働から逃れることもない限り、我々に待つのは死、ただ一つである。その意味で、労働とは死である。

 そう思うと、苦手な子供も哀れに思える。彼らは死ぬために生まれてきている。今は自由を謳歌しているかもしれない。しかしそれはあくまで出荷前の家畜の喜びにほかならない。彼らは労働に使役する対象として、束の間の餌付けを為されているに過ぎないのだ。彼らもやがて死ぬ。労働に死ぬか、労働せず死ぬか、いずれか。

 面白い。なんだか優しい目も装着できそうだ。

 

  • 不老不死について

 ところで、私は常々不老不死を欲している。。労働は死である。そして労働せずとも死ぬ。我々には死がつきまとう。この二重苦から逃れるたった一つの方法は不老不死の獲得である。

 不老不死こそ有れば、私は死から解放される。死からの解放は労働からの解放をも意味する。不老不死さえ有れば、私は何の苦悩も無くずっと寝ていられる。労働という死から、そして死そのものからも私は逸脱できるのだ。

 誰かお願いだ。私に不老不死をくれないか。私はもう、ずっと思っているのだ。

 

 えっ今日の文章めっちゃ良くない?