2022.03.06
あと26日
私はごく単純な性格をしていて、よく寝て美味しいものを食べれば怒りも何も忘れて至福だけを味わうことになる。つまり私はいま、とても幸せである。
私の本性というのはどうやら睡眠と食事をこよなく愛する怪物のようだ。これらを阻害されれば敵意を持つが、これらを与えられれば幸せに黙りこくるし、恩すら覚える。犬みたいだ。いや、狼というのが適切か?
こんなんだから創作には向いていないのだろう。が、幸せなものは幸せなのだから仕方ない。
- 一億総貴族社会
ウクライナ情勢を追っている中で、よく見られた議論がある。それは、「日本人はウクライナ人のように命を賭して国家のために戦えるか」というもの。私は不可能であると思う。誰も国を守ろう、銃を持って戦おう、などとは思わないだろう。それは何故か。日本人は皆、貴族の意識を持っているから。
日本の軍事力を担っているのは何か。それは自衛隊である。自衛隊が国家の最前線に立ち、我々を守ってくれている。そして自衛隊と国民とは完全に分離されている。
例えばかのウクライナであれば徴兵制が採られていて、前線と銃後の親和性は高いと考えられる。韓国も同様。世界に輝くBTSですら徴兵に対して当然の義務と発現する程度に、軍事と国民との距離は近い。その傾向は徴兵制国家に限らず、アメリカのような志願制を採る国家であっても、退役軍人など国防関係者が強い存在感を持つ。
日本ではそのような傾向が見られない。軍事は軍事として、自衛隊と防衛省と、せいぜいその関係者との中に留まっている。それ以外の国民に軍事は関係ないし、話題に出すことすら憚られる。自衛官の再就職先も悲しいものばかり。もはや誰が退役軍人なのか、一般的な国民には区別できない。前線と銃後とは完全に決別していて、水と油のように溶け合っていない。
これこそ貴族の意識である。経済的豊かさについて言及しているのではない。そういう暴力に関しては従者に任せて我々は芸能の世界に浸っていよう、その精神こそが貴族だと私は申し上げたい。つまり一億総貴族社会である。
この状況下で、一体誰が自ら暴力に与することを考えるのか。誰もそうしない。我々は銃後の住民であって、前線の住民ではない。そう本気で考えているのだから。銃後の住民が前線の住民として意識を持つことなど有り得ない。精神世界の場面で完全に区別されているのだ。
- 予言:他国に侵攻されたなら
私は予言する。仮に隣国が侵攻したとして、多くが放つ言葉を。
「自衛隊がんばれ」
「国家の防衛は自衛隊員の仕事でしょう。我々には何も出来ない」
自衛隊が国家防衛に失敗したら。それはそれで支配を受け入れる。誰も前線の住民に立ち返ろう、とは思わない。文化や文明が破壊されるような事態を引き起こそうとも、銃後の住民は銃後の住民であり続ける。
- ええじゃないか
私はこれを否定的に捉えているのではない。素晴らしいではないか。前線と銃後とを分離したとき、初めて豊かな文化が花開く。中古文学を見れば明らかである。幸いなるかな。令和日本にはその素地がある。
我々の祈るべきは、他国が侵攻しないことである。前線と銃後とが大きく分離されていても何ら支障ない時代。それが永らく続くような世界。それこそ、日没する時代、文禄から続く栄光を終える新たな局面において求められるものである。
他国に陵辱されない限り、我々は四季と文化で命を繋ぐことだろう。