まどどブログ

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2022.03.08(残24日) 『この世の終わりみたいなインスタ』と陰謀論について

2022.03.08

あと24日

 

 いっそのこと何もせず、惰眠の中に四月一日を迎えようか。どうせ終わる命なのだ。せめて最期くらい、至福の中に過ごしても良いではないか。

 ああ、命が永遠であったなら、このような苦悩を経ずとも済んだのに。

 

  • 「単細胞思想」

 ここだけの限られた話題に留めておきたいが、その実、私は陰謀論ウォッチャーとしての顔をも持ち合わせる。陰謀論というのは、在る種我々とまったく異なるアプローチで奇怪なる解を導き出すので、単に興味深い。故に私はまれに、陰謀論を摂取している。

 さて、その陰謀論ウォッチングに親しんだ者として一つ言いたいが、陰謀論とは愚かしい。確かに思考停止で物事を受け入れることは恥ずかしい。疑問を抱くこともなく追随する姿は、確かに羊ですらある。しかし、思考を経ておきながら陰謀論を信じ込んでしまう者というのはもはや恥じるに留まらず愚かしい。

 根拠がおかしい。論理の飛躍が著しい。それも愚かしいが、そもそも陰謀論に散見される論理というのは、「〜がすべてを説明する」だとか「〜だけで明らか」だとか、事象の要因を単一のものに求めるものばかり。例えば「中国はあらゆる国にとって最大の貿易相手なので、どの国も制裁を課せないのは明らか。だから中国はこの事態を堂々利用してさらに強国になる」とか。「治験には数十年も掛かるはずなのに(注:本当に?)数ヶ月で終了。これだけでワクチンの異常性は明らか」とか。「アメリカは軍需産業が盛ん。ロシアの異常な行動はそれがすべて説明する」とか。私はこれを「単細胞思想」と呼んでいる。単純だから。

 このような単細胞思想は果たして傾聴に値しようか。否。世界はそれほど簡単ではない。あらゆる事象がたった一つのことによって説明されるのであれば、この世に学問など必要ないし、この世は恐らく迅速なる進歩を遂げていたことであろう。

 複雑な要因とは何か、多くは知らないし、恐らく解明することも出来ない。しかし思考を経てもなお、世界が単一でないということに気づかないというのは、思考停止よりも罪深い。

 ここで、あらゆる事象が複雑怪奇である論拠は何か。ここで私は『この世の終わりみたいなインスタ』を挙げたい。

 

  • 『この世の終わりみたいなインスタ』はなぜ人気を得たか

 なぜ『この世の終わりみたいなインスタ』はこれほどまでの人気を得たのか。私はゆかりファンとして、これについて別の機会に仔細に述べたいほど、重厚で考察に値する問いだと考える。何故。これを一言で説明できる自信は無い。

 ざっと考えれば、まず直接的には

・大学生の飲み会というごく普通の幕開け

・緩慢で平凡な場を壊す唐突な下ネタ

・市井に広く評価される下ネタの銃撃

・OMMC姉貴の卓説したワードセンスとリズム感

・的確なカメラワーク

・ゆかりの顔

・メガネ姉貴の静けさから伺える場違い感

・メガネ姉貴による小声での訓示

陰キャ君の微動と微かに浮かぶ気色悪さ

・OMMC姉貴の挙動

という数多の要素が我々を笑顔にしてくれる。そして、これがそもそも広く流通するに至った外的要因として、

・カメラマンの存在

・なぜか流出したという事実

・出演者が内定取り消しになったという噂

・コメント欄の秀悦さ

などが考えられる。

 上記を踏まえて、問いに対する解は何か。このすべてだと思う。このすべてが、かのストーリーをここまで人々に広く浸透させた要因である、と考える。この要素すべてが、この問いに対する解なのだ。

 このどれか一つでも欠けていたらどうか。多少バズっていたかもしれないが、圧倒的な知名度と信者を獲得するまでには至らなかっただろう。かのストーリーは、本当に複雑な要因が複雑に作用した結果としてもたらされたものなのだ。

 

  • 『この世の終わりみたいなインスタ』と陰謀論

 では、この問いを単細胞思想で解釈すればどうか。

「カメラマンの存在がすべて」

「カメラマンが居たという事実だけでバズるのは明らか」

 なんて感じだろうか。どうだろう。一見して、さもありなむ、と思わせるのが単細胞思想の特徴である。確かにカメラマンの存在は大きい。カメラマンが居らず、あれを世界に発信していなければ、我々があれを崇敬することもなかった。

 が、よく考えてみよう。これの意味するところはこうだ、カメラマンの存在がすべてを説明できる。ゆかりはメガネ姉貴、陰キャ君、そして何よりOMMC姉貴の存在も、かの和やかで刺激的な台詞の数々も無視して良い。はて。それは評価される解答だろうか。カメラマンが居ただけで、あの動画は大流行しただろうか。

 誰しも分かるだろう。それは間違っている。ゆかりが平坦な顔をしていて、OMMC姉貴の言葉選びが下手で、メガネ姉貴がノリノリで、陰キャ君がイケメン爽やかウェイであったならば、もはや『この世の終わりみたいなインスタ』は存在しない。すべてが噛み合ったからこそ、あの作品は名声を得るに至ったのだ。それが真実である。

 それを陰謀論者よろしく単細胞思想で「カメラマンが居たことがすべて」などと説明すれば、真実の輪郭は尽く損なわれる。歯車の歯をすべて削ぎ落とすようなものだ。

 いや、もはや虚構そのものである。カメラマンが居たから『この世の終わりみたいなインスタ』は流行った。ああ、カメラマンは偉大なんだな。そのような誤った認知すら引き起こすのだから。

 

  • 『この世の終わりみたいなインスタ』と諸事象

 これと世界とは何も関係ないではないか。闇側のこととは違う。ああ、何を言い尽くそうと甲斐はなし。「なぜ『この世の終わりみたいなインスタ』は人気を得たか?」という問いですら、このように複雑な事情を持つのだ。社会の諸事情は、どうか。言うまでもない。

 全事象は複雑怪奇であるというのに、滑稽な単細胞理論をいとも容易く信じて広報する。あまつさえ無思考の善良なる市民を避難し、自身の「思惟」を誇る。愚かしい。「自身はアメーバです」と公言しているようなものだ。善良なる市民は確かに羊であるが、彼らの存在はもはや山羊ですら無い。アメーバである。残念ながらアメーバは羊にすら認知されない。

 おお、かわいそうなアメーバ!

 

  • 免責:私の主張について

 「お前はどうなんだ」「お前は一つの要因に答えを求めないのか」という指摘が考えられる。それについて、私は統計学を少しばかり学んでいる。

 

 ああ、魂の穢れレベルがかなり危険な域にまで達している。清めなければ。

 陰謀論ウォッチングから手を引こうかしら。