まどどブログ

普通の男子大学生が、有名作家になるか、破滅するか。そんな人生ドキドキギャンブルの行く末を提供しています。

2022.03.15(残17日) 会津について

2022.03.15

あと17日

 

 会津というものを見くびっていた。

 「ならぬものはならぬものです」という標語が街の至るところに張られている。江戸時代から続く訓示、暗黙の了解を、現代においても強く主張している。信じがたい。多くの都市を旅してきたが、このような場所は見たことがない。少なくとも、福島市郡山市では維新前の匂いなど感じ取ることすら出来なかった。この街の標語は、維新を迎えずに居る。

 そういえば史料館において、広く「新政府軍」「旧幕府軍」と呼ばれるようなものも公然と「西軍」「東軍」と記載している。これを見て、私はベトナムの博物館のことを思い出した。かの国はアメリカのことを強く恨んでいて、余白を埋めるようにアメリカの残虐非道っぷりを滔々と記していた。どうにも似たようなものを感じてしまう。

 それに施設の名称も妙に古めかしい。何も歴史ある施設だから、というものではなく、単なる市民ホールの名称ですら仰々しい。観光施設かと勘違いしたほどである。なぜ市民ホールが「會津風雅堂」なのであろうか。単なる生涯学習センターですら「會津稽古堂」という由緒正しき響きである。そもそもなんで旧字体なのか。創建は戦後なのに。地元愛というより、何か文明開化へのアンチテーゼすら感じてしまう。しかも公募らしい。恐ろしい。

 もちろん、何か反骨心というものが住民の方々の中に在るとは思っていない。もう当時の者は誰も生きていないのだから、強く気に咎める理由など無い。古めかしいものとして嘲っているやもしれぬ。しかし公募を見ている限り、彼らの精神は、無意識であっても維新を受け入れていないように思える。

 一般的に、維新前、つまり江戸時代と維新後、つまり近現代日本とは明らかな決別が在る。旧国・諸藩は解体され、道府県に組み替えられている。教育や行政などの統治も独自のものではなく、全国画一のものが導入された。故に、基本的に維新前の精神というものは残る余地など無いはずである。

 が、標語にせよ史料館にせよ施設名にせよ、この地は「会津藩」との決別を維新によって達成するばかりか、むしろ癒着を強めている。それは維新の否定、とまで進まずとも、受容に非ざることであるのは間違いない。福島県民というよりも、会津っ子なのだから。

 では、この姿勢というのは一体どのようなものから来るのだろうか。それは恐らく、先人たちの強い怨念である。

 幕府の屋台骨であり東北屈指の雄藩であった会津戊辰戦争によって薩長に屈し、徹底的な屈辱まで味わった。その落差というものが怨念を生むことは想像に容易い。そして維新後、会津藩が消滅し、福島県となり、県庁所在地すら他の都市に移ろうとも、彼らは「会津藩」を決して忘れられなかった。いや。たぶん敢えて忘れなかった。忘れさせなかった。忘れることは維新、薩長政権の受容であったから。

 その結果が、標語であり、史料館であり、施設名なのではないか。会津においてどのような教育が為されているのかは知らないが、標語掲示の頻度は恐れず言えば共産主義国家のそれに比類する。絶対に会津藩を忘れさせない。会津の精神を忘れさせない。そしてその精神は、恐らく深く根付いている。そうでなければ、公募で歴史的な名称を採用されるはずもない。少なくとも行政は会津藩を忘れさせないつもりなのだ。

 誠に奇異な例であるように私は思う。戦前の面影すら乏しい現代日本で、維新前を匂わせる街は一体どれほどあろうか。京都ですら近代化が進みすぎている。間違っても仙台ではないし、秋田でもない。鶴岡ですら無い。長岡や桑名はどうだろう。訪れたことがないのでわからない。

 それにしても敗北というのは斯くも傷を遺すのか。しみじみ思われてしまった。

 

2022.03.16追記

 ちなみに「その標語は観光客向け」というツッコミは無しだ。いとすさまじ。