2022.03.18
あと14日
大衆が口にする「働きたくない」と私の口にするそれとは根底から異なる。彼らは一般にそれを「お化け屋敷に入りたくない」と同義に用いる。彼らにとって労働とはお化け屋敷である。私は違う。私にとって労働とは、外壁も内壁も生きているゴキブリで形作られた洋館に入るようなものだ。存分に想像してほしい。底知れぬ嘔吐感と恐怖とに飲み込まれることであろう
- ゴミは捨てなければ
人間というものは面白く、理解できないもの、自身の信ずる何かに反するものを受け取ったとき、即座に否定する癖があるようだ。
恋に対して特段大きなメリットを感じていない。私がそう言ったとき、ある者は「強がっちゃって」と嘲った。
特に好きな者など居ない。私がそう言ったとき、ある者は「そのうち見つかる」と慰めた。
労働を嫌悪している。私がそう言ったとき、ある者は「わかる、この時期怖いよね」と微笑んだ。
人間は好かない。私がそう言ったとき、ある者は「そんなことはないと思うけどね」と苦々しく放った。
ああ、自覚すら無いのか。相手の発言を自身の都合によってデザインし直し、原型を即座に否定する。それはつまり、思考すら通せず拒んでいるということを意味する。即ち、その者はある概念に対して理解そのものを諦めているのだ。この場合、それは私そのもの、ということになる。
そういう者に何か掛ける言葉はあるか。否。無い。何を話そうと無駄である。理解しようとしないのだから。私の本音を話したところで、どうせまた否定される。むしろ秘匿事項を暴露されるリスクすら顕在化する。このことを考えれば、何も話さない方が明らかに理にかなっている。
だから人間は嫌いだ。人類など殲滅されて仕舞えば良い。私の文化的生活を成立させるシステムさえ動いていれば良いのだ。独りであろうと、そのシステムさえ気ままに稼働させられるのであれば、強がりでも何でも無く私は何一つ不自由しない。人間とは酒や煙草などと同様、嗜好品である。そして私は嗜好品に依存しない性質を持つのだ。